【講演録】同友会と私/三ッ星レストランシステム 代表取締役会長 谷川 富成氏
2025年04月15日

◆彼がいてくれたから
高校卒業後、大阪の調理師専門学校に進学した私は、中華・和食の修業を積んで300万円ほど創業資金を貯めて釧路に戻り、1981年7月に24歳でカジュアルレストラン「ピノキオ」を開店します。ところが5年間は売上が月数万円で、給料はせいぜい1万円。そこで世の中の変化を肌で感じようと月1回店を休み、その1万円を握りしめて釧路中を歩き回りました。
店をオープンし1年ほどした頃、現在の土井政規社長との出会いがありました。お客として来店した土井さんを、バイトとして雇ったのがきっかけです。当時から彼は学習能力が高く、メモ魔でした。私はすぐに自分に必要な存在だと確信し、とにかく自分の知識や技術を教え込みました。私が一番尊敬しているのは土井社長です。彼がいてくれたおかげで脱線せずにここまで頑張れたと思っています。
◆インパクトのある学び
同友会事務局の佐藤紀雄さん(現参与)との出会いで82年に同友会に入会しました。勉強会に参加してみると周りは先輩ばかりで、学ぶことしかありませんでした。自分がその時成功していないのは確かでしたが、どうすれば成功するのかわからず、とにかく先輩方の話を聞くことに徹したのです。時間もお金もなかったため、最初の5年間で同友会の勉強会に参加したのは数回でしたが、それは自分の人生の中でものすごくインパクトのある学びでした。
◆学んだことはチャレンジを
とりあえず売上を伸ばしたい、勉強したいという思いから、経営指針研究会の一泊研修会にも参加しました。そこで先輩経営者から「利益三分配」という話を聞いたのです。利益を100として、経常利益の段階で3分の1を社員に渡し、もう3分の1は会社に、残りは納税に充てるという考え方で、ここで聞いたことが後の私を助けることになったのです。
91年に三ッ星レストランシステムを設立し、出店を重ね経営規模も大きくなりましたが、会社が苦しかった51歳の頃にこの話をふと思い出しました。赤字の分野もありましたが、全体の利益をエリア、業種ごとに3分配したのです。この制度を社内で浸透させるのに5年かかりました。
会社は、社長ではなく社員が頑張らなければ稼げません。社員の力やモチベーションを高め、やる気をどれだけ引き出せるか、この制度で確かめることにしたのです。
気が付くと5年後に社員の年収がぐんと上がり、結果的に外食産業で退職金日本一の会社となりました。これは社員が社長を信じ、頑張ってくれるようになったからです。自分の人生をかけて、あの時本気で取り組んで良かったと思っています。
同友会でもどこでも、知恵を頂き学んだからには、小さくても良いからチャレンジしましょう。私はそうしてチャレンジを続けることが、何よりも大事だと思っています。
(3月6日、くしろ支部3月例会「Doyu交流会」)
たにかわ・とみしげ=1957年釧路市生まれ。高校卒業後、調理師専門学校を経て、飲食業に従事した後81年にカジュアルレストラン「ピノキオ」をオープン。91年に法人化し、回転寿司「なごやか亭」や焼肉事業「朴然」など飲食事業を多数展開。 |