【わが人生わが経営 162】和公繊維(有) 代表取締役 斉藤 了一 氏(71)(オホーツク支部)
2025年03月15日

真面目にコツコツと
覚悟を決め新分野に参入
「家族で足りないところを補いながらやってきてここまで来れた。正直な商売が重要だと思う」
タオルや贈答品の販売を主要事業として展開する和公繊維の斉藤さん。1990(平成2)年に創始者である父和男氏から引き継ぎ、事業を継承しました。岐阜県の繊維問屋での修業を経て、誠心誠意商売に努める斉藤さんは「引き継いだ当初は本当に大変だった」と振り返ります。
斉藤さんは53(昭和28)年に北見市で生まれ、高校卒業まで北見市で育ちます。3人兄弟の次男でした。少年時代のことを「外で遊ぶのが好きだった」といいます。通っていた小学校の目の前が生家だったこともあり、野球道具を家から持ってきては、よく学校のグラウンドで野球をしていました。
スポーツ好きが転じて、北見柏陽高校に入学後は器械体操を始めました。当時は今以上に物珍しいスポーツだったものの「一つずつ新しいことができるようになる感覚が良かった」と振り返ります。体育大学に進学して器械体操を続けようとしましたが、和男氏と将来について真剣に話し合い、進学を断念。和男氏の取引先であった岐阜県の衣料品店で5年間修業を積むことにしました。
岐阜での修業中は、洋服の生産から販売に至るまでの一連の工程を学びました。「反物をどうカットしたらたくさん生地が取れるかなど、ちゃんと計算して洋服ができあがっていく過程を勉強した。販売の方法も分かったし、酸いも甘いも含めて洋服のことを学べた」と回顧します。
転機は突然訪れました。和男氏から「結婚してはどうか」と話があり、77(昭和52)年に結婚。北見に戻り、妻貴美子さんとの生活を始めました。
斉藤さんが社長職に就いた当時は、贈答品販売よりも市内のデパートなどへの衣料品卸業が主な事業でした。しかし、市内ではデパートの撤退や衣料販売店の閉店が相次いでいた頃で、「社長就任時のプレッシャーは大きかった」といいます。「衣料品の売れ行きは右肩下がりで、借金もそれなりにあった。その頃が一番大変だった」と振り返ります。そんな中からのスタートで、どんな経営戦略を立てるかが一番の肝でした。
斉藤さんが目を付けたのは、葬儀・法要に使う贈答品の販売でした。「入進学祝いのお返しなどの贈答品は当時結構売れ行きが良かったが、それまで仏事はほぼやってなかった」と言います。
札幌のメーカーから告別式の後に渡す贈答品のカタログセットがあると聞き、周囲の関係者にも相談しました。知り合いの葬儀事業者からは「こういうものを取り扱ったら休みがなくなるからね。四六時中、365日、電話で連絡が取れるようにしてね」と言われたそうです。
斉藤さんは覚悟を決め、取り扱うことを決めました。取り扱いを約20年前から始め、現在も続けています。それ以来、宿泊を伴うような旅行にはほとんど行かなくなったそうです。
今は、貴美子さんに加え、次男の尚樹氏と3人で家族経営をしています。和男氏から「コツコツ真面目にやるのが正しい姿勢だ」と教わった斉藤さんには、真面目さがあります。貴美子さんは簿記を学んでいたため、会計を主に担当しています。さらに尚樹氏は、記憶力が良く人付き合いに優れています。斉藤さんは「本当に家族がいてくれてよかった」と顔をほころばせます。
加えて、地域の仲間の支援も欠かせません。斉藤さんは昨年、背骨を破裂骨折してしまい、仕事も一時期ドクターストップがかかりました。その際、昔からの知り合いに手助けしてもらったことで、仕事に大きなダメージは生じなかったそうです。「みんな地域のためって思いもあるのかな」と照れくさそうに笑います。
今の楽しみはあと2年で迎える金婚式です。「子どもたちが何をしてくれるか楽しみ」と白い歯を見せます。「健康でいるのも幸せなことだね」と斉藤さん。一日三度の食事を欠かさず、グアテマラのコーヒーを飲むことが日課です。貴美子さんが作ってくれる料理が一番だそうです。
同友会では、和男氏が北見支部(現オホーツク支部)の初代幹事長を務めました。貴美子さんが過去に女性部の代表世話人を務めたほか、尚樹さんは現在青年部の役員で、同友会活動に積極的に参加しています。斉藤さんは「同友会は勉強させてもらうだけでなく、会員の間で商売も広がった」と、出会いや縁に感謝しています。
さいとう・りょういち 1953年生まれ、北見市出身。北見柏陽高校卒業後、単身で岐阜県に渡り5年間の修業生活。77年の結婚を機に北見に戻り90年から現職。 和公繊維=本社・北見市。1965年創業。贈答品やタオルの販売を主に展開する。 |