【わが人生わが経営 154】(株)共同舎 代表取締役 大石 清司氏(76)(札幌支部)
2024年06月15日
同友会での学び実践
経営者も社員と共に成長
「経営者は優れている訳ではなく、権限を持っているだけ。経営者も社員と共に育っていかなければならない」
大石さんは1948(昭和23)年、4人きょうだいの次男として生まれました。戦後、朝鮮から引き揚げ、江別市角山に入植した開拓者一家でした。畑作や酪農で生計を立てていましたが、生活は楽なものではなかったと振り返ります。「すごく貧乏だった。3食米を食べることができたのは、中学校に上がったくらいからかな」と語ります。高校卒業後は、酪農学園大学経営学科に進学。「実家を手伝いながら行ける大学を選んだ」という大石さん。卒業後はそのまま大学に残り、技官として学生に農業の技術指導や学生をサポートする仕事を2年弱続けました。
そして、様々な職を転々とし、35歳の時、不動産会社に就職することとなります。2年ほど務めた後、「新会社を立ち上げるから手伝って欲しい」と知人から声を掛けられ、84(昭和59)年、北嶺不動産の設立に携わりました。事件モノの競売物件を取り扱うなど、癖のある仕事が特に多かったといい、売り出し、接客、契約と全てを大石さんが担っていました。
その後、北嶺不動産のオーナーが会社経営から手を引くこととなり、86(昭和61)年、会社を引き継ぐ形で独立。突然の独立で経営のイロハもわからない中、同友会との巡り合いが幸運だったと振り返ります。
知り合いの弁護士から不動産売買の仲介を頼まれ引き受けるうちに、どんどん他の弁護士からも色々な物件を依頼されるようになっていきました。依頼される物件は、負債や相続などの問題が絡んだものがほとんどでした。「物件をただ売買して終わりではなく、依頼者の再出発を応援することが大切」と話します。自分の意志を体現するため、中古住宅の売買や、リフォームなどを専門とする一級建築士事務所共同舎を90(平成2)年に設立します。
また、93(平成5)年には、倒産の危機にあった函館のパチンコ店「富士」の共同経営を頼まれ、引き受けます。97(平成9)年には同社を完全に買収。2000(平成12)年から週1回現地に入り、本格的に経営の先頭に立ちました。まず取り組んだのは「社員教育」でした。「労働集約型のパチンコ業界では社員教育がカギ。同友会での学びを実践する時だと思った」と振り返ります。
月2時間の社員教育の結果、業績は見事に急成長し、取材や見学依頼が殺到しました。「同友会での学びがあったから」と語ります。社員には〝おおいに 失敗しよう 挑戦しよう〟と伝え、「ルールの多い組織は考えない組織になる。幹部は部下をコントロールしたがるけど、管理や監督ではなく、幹部は褒め役だよ」と強調していると言い、「誰も失敗したくてやっている訳ではないからね」と微笑みます。
さらに、2000(平成12)年、弁護士、税理士、福祉・医療関係者など多方面の専門家と連携し、突然の解雇や失業、住宅ローンの支払い困難など、問題を抱えた人を助けるため、「助けあいネットワーク」を提唱。「共感してくれる人たちとネットワークを結び、社会的問題に立ち向かっていきたいと思った」と語ります。
08(平成20)年のリーマンショックで札幌でも派遣切りが増えた頃、大石さんはアパートを4、5棟買い上げ、約100世帯の無条件入居を実現。生活保護を受けられるよう手はずを整えました。「庶民が痛めつけられているのを見過ごせなかった。格差が拡大するこの世の中で、庶民と共に歩むことが私の根底にあるのかな」。
中小企業の生きる道は〝地域あってこそ〟。同友会の仲間と地元のお祭りの設営・撤去をサポートする「お祭り手伝い隊」に参加するなど、地域との関わりを大切にしています。「地球の未来への貢献を意識した中小企業でありたい。地球温暖化防止のためにも目先の利益だけではなく、社会的、地球規模的にどうあるべきか考えて事業を進めていきたい」と展望します。
1986(昭和61)年、高校の先輩が同友会事務局で働いていたという縁から同友会に入会。「同友会の仲間と経営問題研究会を立ち上げ、20年以上も月2回、昼間に決算書を持ち寄り、経営指針づくりなどの勉強会を開いたのが印象的だった」と語ります。大石さんは、理事や札幌支部政策委員長、東地区会長のほか、国際ビジネス研究会幹事を歴任。現在は、ゼロカーボン北海道研究会副代表として、会運営に尽力しています。
おおいし・きよし 1948年生まれ、江別市出身。酪農学園大学経営学科卒。84年にグループ会社の北嶺不動産に入社。 共同舎=本社・札幌。1990年設立。一級建築士事務所。リフォームを中心に、北嶺不動産と連携し中古住宅の売買も手掛ける。 |