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【1世紀企業 79】米沢印刷紙業(小樽市)

2024年02月15日

大正12年の会社付近の様子(花園町公園通り。小樽市総合博物館提供)

 

技術磨き紙製品メーカーへ

歴史を刻み、未来に挑戦

 

米澤正喜社長

 当社は1923(大正12)年7月、初代社長の米沢正四郎氏が秋田市から移住後、勤務していた塩野其水堂商店から独立して、小樽市花園町に米沢石版印刷所として開業したのが始まりです。その石版印刷の優れた技術が認められ、その特異性により顧客からの安定した信頼を得て、業績は順調に推移しました。

 

 33(昭和8)年、小樽市の経済的な繁栄とともに市内の印刷需要が拡大したため、当時の最新式オフセット印刷機を導入しました。オフセット印刷は、「版」を必要とする印刷手法であり、凸凹がない平らな板を使用するために平板印刷とも呼ばれています。

 

 オフセット印刷の特徴は、迅速に大量の印刷ができることです。コストを低く抑えられるため、チラシや書籍などの商業印刷で広く普及しています。オフセット印刷機の導入を機に石板印刷から主力がオフセット印刷に移行し、販路の拡大と共にお得意様も百貨店、映画劇場などから官公署、繊維卸商、商社などへ多様化し、業容は一段と拡大しました。

 

 ところが、日本は太平洋戦争の激化と共に統制経済に移行し、資材や物資が逼迫。従業員の招集などのため業務の統合や廃業を余儀なくされ、軍需経済が自由な商業活動を阻害し、地域経済と市民生活を苦しめます。そうした中でも、米沢石版印刷所は数少ない印刷業として存続することが出来ました。

 

 戦後も多くの困難がありましたが、51(昭和26)年4月には米沢印刷株式会社として法人化します。63(昭和33)年には札幌支店を開設し、64(昭和34)年に銭函に第2工場を建設。同年、2代目として米澤正氏が社長に就任します。さらに65(昭和35)年には、北海道書籍印刷株式会社も設立しました。そして91(平成3)年には、近代的な最新設備を備える第3工場を小樽市張碓町に建設。2008(平成20)年には本社と第一工場を張碓に移転しました。

 

 かつては、省資源で水漏れしない高級紙器容器(IFKカートン)や、水分を吸収する抗菌ガゼット袋など特許・実用新案製品を開発した事もありますが、近年は新たな市場を拓くために高規格品の紙製貼箱の開発に注力しています。これまでも多くの印刷機械を取り入れてきましたが、最新の全自動貼箱機の導入で、商品価値を高める高級箱の大量生産が可能になりました。

 

 現在は紙製品メーカーとして、パッケージ、学習用ワークブック、梱包材など、さまざまな紙製品の印刷、加工、組み立てを行っています。

 

 3代目の正喜氏は「これからも多様な製品ラインをお客様に提供し、印刷、加工、組み立ての高度な技術でニーズに応えたい。そして新たな歴史を刻み、未来への挑戦を続け、より一層の発展を目指したい」と語っています。