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【わが人生わが経営 150】トーワラダンボール(株) 代表取締役社長 大場 勝博氏(74)(札幌支部)

2024年02月15日

 

一つ屋根の下の家族

個性活かし障がい者雇用

 

 大場さんは1949(昭和24)年、新十津川町の農家に5人きょうだいの長男として生まれました。夏場は登校前に、石などで自宅近くの小川をせき止め、魚を捕るのが日課だったと話します。68(昭和43)年に滝川市の土建会社に就職。「札幌地下街の建設にも携わり、重機やトラック、ダンプ、パワーショベルなどいろいろな機械を扱った」と懐かしみます。

 

 その後、70(昭和45)年に運送会社を設立します。車の運転が好きだったという大場さん。トラック1台を購入し、個人で運送業務に勤(いそ)しみました。「運送業は華やかな商売で、やればやるだけ収入を得られる点が魅力的だった」と当時を振り返ります。次第に大手運送会社が台頭し、請け負う仕事も減少していきました。そんな中、安定を求めサラリーマンになることを考えていた大場さんは、トーワラダンボールから誘いを受け、78(昭和53)年、同社に入社します。

 

 トーワラダンボールは、親会社東ワラ商事の一加工部門として61(昭和36)年からダンボール製品の製造を始めた後、工場を建設し、74(昭和49)年に設立された会社です。

 

 まず配送部門に配属となった大場さん。「入社当時は出来たての会社だったため、配送する荷物もどんどんと増えていき、仕事の幅も広がっていった。前職で運送をやっていたこともあり、やりがいを感じながら仕事をしていた」と話します。

 

 その後、製造部門へと配置転換となり、大場さんに工場長就任の話が舞い込みます。「運送に関しては自信があったが、製造の機械を動かすことはおろか、社員をマネジメントすることなどできない」と、真剣に悩んだといいます。最後は、家族の助言もあり頑張ってみようと話を受けることにしました。

 

 休みの日曜日にも工場に毎週通い、機械を動かしながら、機械の仕組みや動力をどう伝えているのかなどを勉強しました。「右も左も分からないところからだったので、一通りマスターするまで3年はかかった」と振り返ります。

 

 98(平成10)年には常務取締役兼工場長となりました。日常業務以外では、壊れた機械の部品や端材などを集め、それを活用し新たな道具を生み出すことが楽しかったといい、「自分で作ったから、調子が悪くなってもすぐ改善できる。今でも工場内で使っている道具がある」と誇らしげに語ります。

 

 旧工場が手狭だったこともあり、2007(平成19)年に親会社の営業本部がある現在地(石狩市新港西1丁目)に工場を移転。ドックシェルターを完備し、地球環境を考えオール電化を取り入れた新工場を設立しました。安定した品質を保つため工場内の窓は開けない徹底ぶりです。

 

 大場さんは、11(平成23)年に代表取締役に就任しました。就任後すぐ、基本理念として三現主義現場現物現実を掲げました。また、同社では1986(昭和61)年に障がい者雇用を始め、現在は4名を雇用しています。徹底していることは、壁をつくらないこと。大場さんは「心をなかなか開いてくれないこともある。個人の特性を活かして、その人にあった仕事を見つけてあげることが大事」と説きます。

 

 日々の業務の他に、朝と午後の12回、工場内の見回りは欠かせません。「実際に目で見て耳で聞き、社員や機械の様子を確認している」。また、賞与や決算手当などを手渡しする際には、一人ひとりにコメントを添えながら渡すようにしているといいます。「コロナ禍もあり、社員と直に接する機会が減りつつある世の中だからこそ、創業以来続く、我が社の『家族的な雰囲気』を大事にしていきたい」と笑顔を見せます。

 

 2024(令和6)年にトーワラダンボールは創業50年を迎えました。「コロナ禍で売上が低迷した時期もあったが、メーカー、仕入れ先の協力があってこそ、仕事が成り立っている」といい、「既存の顧客を大切にし、人に恵まれていることに感謝したい」と話します。

 

 同友会には先代の吉田孝義氏を引き継ぐ形で2012(平成24)年に入会。16(平成28)年には障がい者問題委員会の委員長を務め、18(平成30)年には経営者大学を卒業しました。「同友会で経営者としてのイロハを学んだ。経営者ならではの悩みや不安を相談できる貴重な場だった」と振り返ります。

 

 おおば・かつひろ 1949年生まれ、新十津川町出身。78年にトーワラダンボールに入社し、2011年から現職。

トーワラダンボール=本社・札幌。1974年設立。ダンボール製品の製造販売、緩衝製品の製造販売など。従業員42名。

「社員それぞれのもっている能力を活かすことが大事。数値目標はあまり意識させない。安全第一、品質第二、生産第三だからね」