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【1世紀企業 77】中山組(札幌市)

2023年10月15日

創業当時の様子(左端が吉次氏)

 

受け継がれる創業からの思い

人と技術を大切に飛躍へ

 

 中山組は1923(大正12)年、空知郡滝川町(現滝川市)で創業しました。回船業を営んでいた初代の中山吉次氏が、そこで得た川の知識を生かし、砂利採取業を始めました。当時、鉄道の国営化による鉄道路線の拡張、灌漑水路の着工、富国政策による各種工場の増設などで、特に土木分野の砂利需要が増えていることに着目した事業転換でした。

 

 30(昭和5)年に初めて屋号として「中山組」を掲げます。道路工事、護岸工事、橋梁工事等を請け負い、33(昭和8)年頃には、北海道内における「橋のご三家」、「護岸のことなら滝川へ行け、中山に聞け」と言われるほどの高い技術力で評判となります。

 

 会社としての最初の転機は、44(昭和19)年の株式会社化でした。これを機会に総合建設業としての第一歩を踏み出しました。

 

 49(昭和24)年に会社の機械化推進の先頭に立ったのが、吉次氏の長男の弘三氏でした。弘三氏は秋田鉱山専門学校(現秋田大学国際資源学部)で機械工学を学び、機械化にこそ建設業の可能性があると考えていました。旧陸軍戦車「チハ」を東京まで出向いて買い付けた上、ブルドーザーに改造し、100人規模の膨大な人員で施工していた空知川の改修工事に導入しました。これが話題を呼び、北海道庁から視察に訪れる等、道内における土木機械化推進に大きな影響を与えました。

 

 53(昭和28)年には経営拡大を急ぐあまり、技術を伴わない難工事を急速に受注。大規模な赤字を出したことで経営が急激に悪化し、社員の半数を解雇するという最大の危機を迎えます。道営かんぱい北生振地区工事の受注などで、危機を乗り越えたものの「技術と人を大切にする」という現在に続く一貫した精神は、この危機で得た教訓から、一層強固なものとなりました。

 

 81(昭和56)年、2度目の転機が訪れます。71(昭和46)年2代目社長に就任した弘三氏の代に、本社機能を札幌に移転し、会社の主要機能を、札幌へ完全に移行しました。

 

 2001(平成13)年から3代目社長として就任した茂氏は、「人を大切にする」という思いを受け継ぎ、就任翌年から、社長自ら足を運び現場視察を開始しました。また建設業界で常態化する長時間労働を解消するため「時短推進委員会」を設置するなど、組織づくりや働き方改革にも積極的に取り組んでいます。

 

 会社には創業時から変わらない社是と社訓があります。社是には「技術力の向上開発」「従業員の生活向上」が明記され、社訓では「誠実と親和 意慾(いよく)と技術」を謳っています。「本業第一を心がけ、社員を大切にし、他の誰にも負けない技術力でお客様の信頼を得てきたからこそ、今がある」と中山茂社長は語ります。これからも創業時の想いを胸に、更なる飛躍へ挑戦を続けます。