【わが人生わが経営 143】(株)紅乃花や 取締役会長 鈴木 雄二氏(74)(札幌支部)
2023年06月15日
ビジネスの波を読む
高度な技術力で花屋承継
「ビジネスには必ず波がある。その波を読み、流れに乗ることを常に意識していた」
鈴木さんは1948(昭和23)年、函館市で4人きょうだいの次男として生まれます。鈴木さんが5歳の時、実家が花屋を始めました。「お盆や正月などの繁忙期にお店のお手伝いをすることは当たり前。ご飯はいつもきょうだいだけで食べていた」と懐かしみます。高校生になり、自分の将来を考えた時、「自分で何かをやりたい。とにかく早く自立したい」という気持ちが自然と芽生えたといいます。
そこで、高校卒業後、一念発起して福岡県に渡ります。当時について鈴木さんは「家族の助けなしに、一人で自立したかった。だから親戚も知り合いもいない福岡県を選んだ。そして自分で何かやるなら花屋しかないと思った」といいます。
最初の2年間は豆屋に住み込みで働き、夜は大学に通いました。その後、福岡最大手の花屋で2年間修行を積むことにします。博多弁が分からなかったため、最初はよそ者扱いされたと苦笑い。言葉を覚えると、お客さんとの距離が一気に縮まったといいます。
それからさらに、大阪の花屋で1年間、東京の花屋でも1年間、修行を重ねました。当時は花屋が少なかったそうで、一緒に働いていた仲間は皆、鈴木さんと同じように、自分の店を開く夢などを持ちながら働いていました。「振り返ると朝から晩まで働いていた。今では考えられないけれども、昔はそれが普通だった。でも、仕事にやりがいを感じていたから、きつい、つらいとは思わなかった」と回顧します。
その後、実家の花屋を手伝うため、地元函館に戻ります。「自分がやりたい花屋の方向性や、出店場所を考える良い時間になった」と振り返ります。
そして、札幌に店を出すことを決めた鈴木さん。その準備のため、札幌の葬儀場で、また1年間働きます。
「葬儀場の祭壇は今後需要が増え、波が来ると確信した。だから積極的に学んでみよう思った」
1978(昭和53)年、遂に札幌市内で「紅乃花や」をオープンさせます。実家の花屋の店名を引き継ぎました。
また、84(昭和59)年に花キューピットに加盟します。これにより、花束や慶弔用スタンド、アレンジメントなどを市内全域に配達できるようになりました。
さらに92(平成4)年には、スーパーなどで売られている生花パックの加工卸業務も始めました。「当時は生花パックをやっている花屋は少なかった。これから伸びていく市場だと思い、参入を決めた」といいます。
鈴木さんは業務の効率化が重要と考え、これまでもさまざまな機械を導入してきました。従来は生花パックを作る際に花をカットし、結束するまでを機械で行い、その後手作業でパックに花を入れていましたが、2022(令和4)年8月に新しい機械を導入。パックに花を入れる作業まで、機械化出来るようになりました。
現在は道内7店舗の実店舗を構え、生花販売を行うほか、アレンジメントやブライダル・葬儀用の生花製作などを手掛けています。
トップに立つ者として「自分の力量をしっかり把握して、それ以上にキャパシティを広げないようにと心がけてきた」といいます。
そんな鈴木さんも将来を見据えて、ことし4月に妻であるみこのさんに事業承継しました。60歳を過ぎた頃から考えていたそうで、息子が高校生となり、子育ても落ち着いたタイミングで事業承継に踏み切ったといいます。「将来、息子が紅乃花やを継いでくれたら嬉しいな」と微笑みます。
今後については「何事においても技術の世界はなくならない。アレンジメントや祭壇、装飾に力を入れ、もっと技術にこだわったお店にしていきたい」と未来を見据えます。
さらに、海外の花の生産地と、直接輸入のやり取りをするための準備を進めています。「息子の代へと店を繋げるためにも、新たな活路を見出していきたい」と力を込めます。
同友会には2011(平成23)年に入会しました。「同友会では経営の仕方から経営理念まで、先輩方からアドバイスをもらいながら勉強した」と振り返ります。
事業承継を考えていたため、13(平成25)年には札幌支部無二の会にも入り「実際に事業承継した人の話を聞くことができて本当にためになった」と話します。
すずき・ゆうじ 1948年生まれ、函館市出身。ことし4月から現職。 紅乃花や=本社・札幌市。1978年に創業し、81年に会社設立。生花・鉢物・苗物・造花・園芸資材の小売、卸売。資本金4100万円、従業員数70名。 |