【わが人生わが経営 140】(株)電気工事西川組 代表取締役 西川 良雄氏(71)(苫小牧支部)
2023年03月15日
人生楽働がモットー
社員は最大のパートナー
「人生楽働。楽しく働いて、楽しく終われれば良いよね」
西川さんは1951(昭和26)年に豊浦町で開拓農家の次男として生まれました。「小さい頃はきょうだい4人でよく食べ物の取り合いをした」と笑います。
中学校卒業後の67(昭和42)年4月、15歳で日本製鋼所室蘭製作所に訓練工として入社。その後、71(昭和46)年、叔父の辰美氏が創業した電気工事西川組へ身を転じます。他の仕事に目を向けるのも良いかなと思ったという西川さん。「製鋼所は完全に分業だったが、西川組では材料選びから完成させるまで全部1人でやらなければならなかった」と前社との違いを振り返ります。
電気工事という仕事に初めて出会い、国家資格免許があることを知った西川さん。資格取得の勉強を独学で始めます。電気工事士(現在の第二種電気工事士)を73(昭和48)年に、その1年後の74(昭和49)年には高圧電気工事士(現在の第一種電気工事士)を取得しました。「やっと諸先輩方の仲間入りをすることができた」
入社当時は朝早くから夜遅くまで仕事に明け暮れる日々でしたが、24歳で結婚し落ち着いて働くことができるようになった西川さんは、25歳で一つの現場を任せてもらえるようになったそうです。工場関係、火力発電所、プラント工事などの電気工事をどんどん覚えていきました。
その後、30歳で本社の仕事に就き、建築物や道路関係の電気工事に携わるようになり、貴重な経験を積むことができたといいます。そして、37歳で現場を離れ、営業総務部へと異動します。「先輩からの助言もあり、社内全体を見渡すことのできる仕事を任された」
営業の仕事を続ける中で、電気工事は色々な種類の仕事があり、幅が広いということに改めて気付いた西川さんは、今までの仕事に加え、電気通信工事、光ケーブル工事、施設の委託業務につながる機械器具設置工事にも力を入れていきました。さらには、維持補修業務や電気保安管理業務などにも取り組みを広げました。
それは「先代の『電気工事だけではだめ。何か違うこともやりなさい』という教えがあったから。企業を継続させるため、新しいことをやってみようと常に心がけていた」といいます。
そして、西川さんは2012(平成24)年、代表取締役に就任します。継承時は「創業者ではない自分にはカリスマ的な経営は難しいと思った。自分の考え、自分の力量の範囲を見極め進めることにした」と語り、先代に勝つことはできなくとも、負けない企業にしようと考えました。また、信念として大事にしてきたことは「人生楽働」です。がんを患った経験から、とにかく健康が一番世の中のためになると信じて、①健康で働けること②安全で事故のないこと③品質で信頼されることをモットーに事業を進めてきました。
社員に対しては、「自分でやってしまうことは簡単だけれども、それでは社員が育たない。担当者に任せることも大事」とし、責任は私がとるのでお客様と納得のいく意見・協議をしてくるようにと指導しています。
電気工事西川組は、15(平成27)年10月に創立50周年を迎えました。目標としていた北海道電気安全委員会委員長賞を18(平成30)年に、22(令和4)年には北海道産業保安監督部長賞を受賞しました。最終目標として経済産業大臣賞の受賞を見据え、「受賞できたら私の役目は終わりかな」と微笑みます。
今後については、24(令和6)年に社長交代することを考えています。そのため、社内承継の準備などを進めています。
「現状維持では会社は存続できない。さらに、コロナ禍の3年間で大きく社会が変わった」と語り、新社長の色を入れながら、時代の流れに対応できる会社にしてほしいと力を込めます。
「社員は最大のパートナー。社員が愛着を持てるような会社、社員が他で働きたいと言ったら喜んで送り出せるような会社が理想的だね」
同友会には先代から引き継ぐ形で、2012(平成24)年に入会しました。苫小牧支部幹事(13―18年度)をはじめ、同支部政策副委員長(15―18年度)や美苫みのり会幹事(17―18年度)などを歴任。苫小牧市の中小企業振興審議会にも同支部の代表として参加しました。「同友会は意欲のある人の集まりで刺激をたくさんもらえた。そこでの出会いをきっかけにビジネスへと発展することもあった」といいます。
にしかわ・よしお 1951年生まれ、豊浦町出身。日本製鋼所室蘭製作所を経て、71年に電気工事西川組に入社。2012年から現職。 電気工事西川組=本社・苫小牧市。1965年創業、75年設立。電気工事、電気通信工事業、電気保安管理業務。従業員数46名。 |