【わが人生わが経営 135】(株)ダスキン釧路 代表取締役会長 木内 敏子さん(73)(くしろ支部)
2022年09月15日
人との出会いが財産
誰もが訪れやすい会社に
清掃事業のほか害虫等駆除のターミニックス事業を手掛けるダスキン釧路の代表取締役会長を務める木内さんは、同友会でもくしろ支部副支部長や釧路地区会会長を歴任するなど長年活躍。「年代を問わず多くの人と出会えたことが同友会での財産」と力を込めます。
木内さんは1949(昭和24)年に釧路市で4人きょうだいの長女として生まれます。植林を営んでいた父の仕事の関係で鶴居村での生活を経て、小学1年生からは釧路市鳥取で生活を始めます。
その後木内さんは、67(昭和42)年から大型商業施設・十條サービスセンターで社会人生活をスタート。施設内にはスーパーマーケットや家具店、ホームセンターが入り大変な賑わいでした。「お客様への接遇やお客様第一の姿勢を学ぶことができ、貴重な経験だった」と木内さん。
また、その時にダスキンの商品に出会います。「濡れた新聞紙を使いホコリが立たないように掃除をするのが一般的だった時代に、ダスキンのモップでの作業を初めて見た時は、素晴らしい効率性に感動した」といいます。
4年間働いた後、23歳の時に保夫さんと結婚します。当時、保夫さんは不動産会社で経理の仕事をしていました。その会社の社長がダスキン釧路を経営しており、縁あって保夫さんは経営に携わることを提案されました。敏子さんの父も「気持ちがあれば協力する」と背中を押し、当時の金額で約2000万円を支援してもらい株の60%を取得。86(昭和61)年5月に保夫さんが社長に就きました。
木内さんは「これからの時代は女性も働くべき。一杯お茶を飲みに足を運べるような、人が訪れやすい会社にしたい」との思いから39歳の時に専務として入社します。「なんにもせんむ」だったと当時を笑いますが、いつも働いている社員に目を向けてきました。「仕事から帰ってくると若いスタッフはおなかがすいているので、豚汁やおしるこを作ったり何か役に立つことはないかと考えていた」と振り返ります。
ダスキン本社が掲げる、第2の創業としての支店化構想に沿って、96(平成8)年には道内フランチャイズ支店第1号となるダスキン釧路西支店をスタートさせます。事業所や病院、パチンコ店、美容室に加え一般家庭でのサービスも強化していきました。
その後、2000(平成12)年に木内さんは社長に就任します。就任してから毎日、報告書による社員との意見交換は欠かせません。「どんな一日を過ごしたのか、どんな悩みを持っているのかを共有したい。これだけは続けたい」。赤ペン先生のように日々上がってくる業務別の報告書に目を通し、コメントを書き入れます。
「『運転に気を付けて』、『昼ご飯はきちんと食べている?』など、似たような回答になってしまうこともあるが、皆抱えていることはそれぞれ。悩んでいるのは自分だけではないことを知ってあげたい」
2018(平成30)年にはターミニックス事業を開始。温暖化に伴い道東でも害虫が増加しており、店舗や施設での害虫・ネズミの駆除により衛生的な環境の構築に貢献しています。同年、弟子屈支店を開設。「『縁、絆、結』が支店の心掛け。「自分を含め幹部3人で一文字ずつを出し合ったら、いずれもいとへんの文字。商売は糸のような絶妙なバランスが求められる」と話します。
「一日一日と今日こそは あなたの人生が(わたしの人生が) 新しく生まれ変わるチャンスです 自分に対しては 損と得とあらば損の道をゆくこと 他人に対しては 喜びのタネまきをすること 我も他も(わたしもあなたも) 物心共に豊かになり(物も心も豊かになり) 生きがいのある世の中にすること ありがとうございました」(ダスキン行動理念)
自分を見失いそうな時は、この教えが支えとなったといいます。
同友会には98(平成10)年に入会。くしろ支部では、副支部長、釧路地区会会長などを務めました。入会当時は幹事に女性が1人もいなかったので、少しずつでも女性の参加者が増えればと思ったそうです。
「年代に関わらず多くの人と知り合うことができたのは一番の財産。同友会は上下の差が無く、立場で物を言わない素晴らしい会」と強調する木内さん。「学びを大切に、地に足のついた活動をしている。これからも毎月の例会を充実してほしい。休眠している会員にも楽しんでもらうこと、女性会員の掘り起こしにもさらに力を入れてもらえたら」と期待します。
きない・としこ 1949年生まれ、釧路市出身。2000年社長、2014年から現職。 ダスキン釧路=本社・釧路。1968年創業。建物等の清掃、清掃用具の賃貸、害虫害獣駆除。資本金2000万円。従業員182人(パート含む)。 |