【わが人生わが経営 131】(株)北海電気 取締役会長 花和 嘉貴さん(75)(しりべし・小樽支部)
2022年05月15日
社員の資格取得推進 信頼と実績で技術力向上
現場を大切にする姿勢を貫く花和さん。現在も市道の街路灯修繕や公園の街灯・公衆トイレなどの電気修繕工事を行っています。「昔からのお客様から、今でも携帯に直接依頼の電話を頂ける」と長く続く縁に嬉しさを感じています。
花和さんは1947(昭和22)年、小樽市で3人兄弟の長男として生まれます。伯父の春次(はるじ)さんが電気工事会社を営み、父の常三(つねぞう)さんは社員として働いていました。
中学校3年生の時に父が病に倒れます。母のハルさんは生活のために小さな食堂を始め、花和さんは中学校から帰ると毎日出前持ちとして手伝っていました。
早く就職し家計を助けたかったため、17歳で北海道総合職業訓練所電工科を卒業し、振興電気札幌出張所に勤めました。市立病院や電報電話局など、官公庁発注の大きな工事現場がほとんどでした。道内各地に出張し、1―3月の工事休止期間は東京本社管轄の工事現場へと、忙しい日々を過ごしながら技能を磨きました。「多くの官公庁の現場を回った分、さまざまな仕様の工事を覚えられた」と言います。
伯父の会社は、住宅や商店などの電気工事を担っていましたが、次第に小樽市の公共工事を受注出来るようになります。伯父は大型工事に対応出来る技術力を求め、花和さんに「仕事を請け負わないか」と声を掛けました。
これをきっかけに68(昭和43)年、21歳で小樽市へ戻り、弟で次男の善光(よしみつ)さんと2人で花和電気を立ち上げます。伯父の電気工事会社の仕事のほか、大手他社の市内現場を請け負うなどしました。「技術力は身に付いていたと思うが、会社経営はほとんど分からない状態でのスタートだった。21歳の若造に仕事を任せて良いのか、元請会社は不安だったのではないか」と当時を振り返ります。
漏電が火災につながる危険性もあるため、電気工事は天井裏や壁の内側など、普段は見えない部分も含め正確な施工が求められます。「きっちりと作業をすると元請けがまた使ってくれる」と信じ、1つ1つの仕事を丁寧にこなすことを心掛けました。
花和電気は、69(昭和44)年に個人の電気工事店と合併し、有限会社北海電気工事店に。その後、弟で三男の賢三郎(けんざぶろう)さんも加わり、兄弟3人で仕事に邁進します。
やがて、北海電気工事店も小樽市から仕事を受注出来るようになりますが、始めは市立銭函小学校の廊下コンセント2個の交換という小さな修繕工事でした。「〝やっと仕事をもらえた〟という嬉しさを今でも覚えている」と花和さん。
90(平成2)年に、42歳で代表取締役に就任。時代の流れと、自社の器に合った会社経営を進めます。その1つが社員に過剰な負担をかけないことでした。「無理をして1日仕事をすると、次の日に負担がかかり良い仕事が出来ない。結果、お客様に迷惑がかかる。社員が無理をせず、誠実に、きちんと管理できる範囲の仕事を引き受けるべき」と説きます。
お客様からの信頼を得るために、技術力の向上は欠かせません。大型工事に使う油圧工具を市内でも先駆けて導入しました。人材育成では、第1種電気工事士や1級電気工事施工管理技士などの資格取得費用を会社が負担。取得時には報奨金を支給しています。
94(平成6)年に株式会社北海電気に組織・商号を変更。世代交代のために賢三郎さんに社長の座を譲り、2014(平成26)年から取締役会長に就いています。
信頼と実績を積み、現在は市の公共建築物の増改築・新築に伴う電気工事やロードヒーティング工事、道発注工事などを受注する会社に成長しました。豊富な経験と、急な依頼にも対応できる力を備えた社員に支えられています。
電工一筋に58年。業界の発展に尽力をした功績から、18(平成30)年春の叙勲で黄綬褒章を受章しました。「受章できるとは思っていなかった。今まで継続してきたことが認められ大変嬉しい」と笑顔で語る花和さん。「現場に立ち続けているから健康なんだよ、と社員やお客様に言われるが、その通りだと思う。続けられる限りは現場に出向きたい」
同友会には、お客様の誘いで再入会しました。総会には出席しています。花和さんは以前参加した高島地区の海の幸を味わいながら会員同士交流するイベントについて「地元への理解を深める良いきっかけになった」と話します。
はなわ・よしたか 1947年1月12日、小樽市出身。2014年から現職。 北海電気=本社・小樽市。1969年創業。電気工事業、消防施設工事業、電気通信工事業、不動産賃貸業。資本金2000万円、従業員8名(社員5名、役員3名)。 |