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【1世紀企業 68】深川硝子工芸(小樽市)

2022年04月15日

前身の井田硝子社屋

 

培った職人の技術活かす 志ある人が集まる会社に

 

 「小樽切子」をはじめ、小樽で多様なガラス製品を製造する深川硝子工芸。そのルーツは、1906(明治39)年、東京都深川区で初代の井田精(せい)氏が創業した、塩や薬品用のガラスビン製造業です。

 

 保存容器の主流だった陶器や磁器に代わる新素材の需要拡大を受け、23(大正12)年には第2工場を新設しますが、同年の関東大震災で両工場が消失してしまいました。すぐに江東区で事業を再開し、37(昭和12)年には㈱井田製壜所に改組。ドイツのシーメンス社製溶解炉を導入して最新鋭のオートメーション化を模索しました。再び戦災で工場が消失しますが、終戦翌年の46(昭和21)年には事業を再開します。

 

 54(昭和29)年に井田氏の後を継いだ2代目の出口新吉氏は、同年に井田硝子を設立してガラス食器製造へ業態を転換。高度経済成長下で食卓用の食器需要を取り込み、業績を伸ばしました。新吉氏は、重油のすすが舞う高温の屋内で、昼夜を問わず作業する過酷な労働環境だった業界の社会的地位向上に腐心しました。

 

 78(昭和53)年には、新吉氏の長男孝二(たかじ)氏が3代目に就任。普及し始めた都市ガスを燃料とする溶解炉をいち早く築炉しました。人材確保と定着のため、業界の慣習だった歩合制の賃金体系を日給制に移行。更に月給制も導入して、職人の社員登用を促進しました。

 

 業務用ガラス食器の普及に伴い同業者の淘汰が進む中、孝二氏は、技術を活かした高級食器を主軸に据え、財務面では堅実な経営を貫きました。

 

 89(平成元)年には、創業者の孫で4代目の井田章二氏が代表に就任。98(平成10)年には、孝二氏の長男新一郎氏が5代目に就任しました。技術を評価されて、北一硝子(小樽市)からガラス製品の受注が増大。生産能力を上回る受注に対応するため、2003(平成15)年に小樽市で深川硝子工芸を設立し、北海道へ軸足を移しました。

 

 新一郎氏は「志ある人が集まる会社にしたい」と、労働環境改善へ取り組みます。社屋には、排熱を利用して融かした雪氷を貯蔵・循環させ室内温度を一定に保つ独自の省エネシステムを導入しました。

 

 19(令和元)年には、新一郎氏の長男で現代表の健太氏が6代目に就任。健太氏は就任前に、東日本大震災による受注激減を体験。その後は、関東と関西を中心とした取引先を増やし、道外への販路開拓を推進してきました。

 

 今はコロナ禍の影響が少なくありませんが、先人から受け継いだ、海外からも評価される技術力を活かして、新規事業にも取り組んでいます。

 

 「外部環境の変化を乗り越え、お客様に喜んでいただける『ものづくり』をこれからも続けていきます」と健太氏は語ります。