【わが人生わが経営 123】(株)サンコー 相談役 山田 修三さん(76)(札幌支部)
2021年08月15日
情報総合商社へ発展 同友会大学で創造性学ぶ
創業者三浦隆雄氏は北海道同友会設立メンバーとして奔走し、代表理事を19年間務めました。時代や社会の変化に柔軟に対応し、業態変革や新事業展開を果敢に取り組み、成長を遂げてきたサンコー。早くから同友会大学を積極的に活用し、社員と共に育つ社風を大切にしてきた同社の歩みは、北海道同友会の歴史と重なります。
山田さんは1944(昭和19)年、八雲町熊石で8人兄弟の3男として生まれます。半農半漁の家で、山田さんも稼ぎ手の一人として小学生から仕事を手伝います。定時制高校に通いながら、建設業、冷蔵倉庫、クリーニング店で働き、学業と仕事を両立しました。
就職して弟2人も高校に進学させたいと考えていた山田さんは、姉の夫が三浦氏と知り合いだった縁で入社し、青写真焼き付けに関する複写サービスや事務器販売に注力。自転車で青写真を顧客へ配達する仕事を担当する一方、高校に進学し共に暮らす弟の弁当づくりをこなす多忙な日々を過ごしました。
74(昭和49)年、山田さんは「ルート営業のままでは会社は長くもたない」と三浦氏に提案。自ら新規開拓や顧客の新たなニーズを掘り起こそうと夜行列車で釧路や函館など道内各地を飛び回り、自治体の図面整理に伴うマイクロフィルム化やコピー機の大型化など、時代の変化や機器の発展に伴う需要を見つけ出していきました。しかし、危機感は高まっていきます。
84(昭和59)年の新年全社会議で三浦氏が「成熟商品ばかりでは生き残れない。これからは通信革命の時代、社員皆で新たな経営計画の検討を」と提起します。幹部達で自社事業を分析し、情報の発生から廃棄までの一部業務しか担っていなかったことに気づき、情報の先進地アメリカを視察。情報管理とレコードマネジメントの大切さを学びます。情報を〝財産〟と捉え、蓄積した情報管理を徹底し、ビジネスに多様な形で活用する姿を目の当たりにします。国内大手製造メーカーも視察。情報をデータ化・蓄積し「お客様のデータバンク」として情報処理総合商社への業態転換を目指すこと、そのために必要な投資として7000万円を見込んだ経営計画書を提出したところ、案に相違して三浦氏は決裁してくれました。
印刷機、裁断機を含むコンピュータ入力業務システムを導入し、アナログからデジタル化への転換を開始。10年をかけCAD、地図情報システム、グラフィックシステムを段階的に導入しました。相次ぐ投資に、「会社をつぶさないことだけは約束してくれ」と言っていた三浦氏でしたが、結果として新たな取引先が拡大。大手企業より早期に導入したことで獲得できた案件も多く「三浦社長の先見性があったからこそ、今がある」と山田さん。その後もベトナムで子会社の設立、人材派遣業やドローンを活用した映像システム導入など、新事業を展開していきました。
社名は「社員の幸せ」「会社の幸せ」「社会の幸せ」の「三幸」に由来。三浦氏は、「会社は社会の公器。永久に続けていくことが経営者の使命。そのためには社員一人一人が自主性を持ち豊かな人間性を養うことが大切」とよく語っていました。月次決算も全社員にガラス張りです。2代目を継承した山田さんもこの意思を受け継ぎ、会社の将来を担う人材の確保と育成を重視。主任以上の社員は同友会大学で学ぶことを決め、歴代経営陣の寺西保現会長(14期卒)、佐藤幸治現社長(30期卒)をはじめ70名が卒業。山田さんも営業部長時代の82(昭和57)年に第4期を卒業し、2000(平成12)年から6年間第2代同友会大学同窓会長を務めました。「与えられた役割をただこなすだけでは幹部社員とは言えない。だからこそ同友会大学で科学的・創造的に学ぶことが必要。卒業生達は社内同窓会を作り業務改善を提案し、それが次のステップへつながり会社の活力となってきた」と山田さん。サンコーの歴史と実績がそれを証明しています。
94(平成6)年には自身も会員として入会し、札幌支部や全道へ活動の場が広がります。共同求人委員長、組織・企画委員長など数々の役職を歴任。現在も同友会大学の名簿をもとに会員増強に走り回ります。事業承継したばかりの経営者に会うたび、「私も自ら入会し、先代の意思と同友会理念を継承して学び続けてきたからこそ、今の会社がある。経営を受け継ぐだけでなく、時代の流れをつかみ、企業を発展させるために同友会で学びましょう」と熱く呼び掛けます。
やまだ・しゅうぞう 1944年10月17日、八雲町出身。64年入社。営業部長、代表取締役社長などを経て、2000年8月から現職。 サンコー=本社・札幌市。1950年創業。総合複写、ファイリング、CAD、GIS、システム開発、人材派遣業など。 |