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【1世紀企業 64】本間松藏商店(倶知安町)

2021年06月15日

地域の子どもたちと(昭和30年代頃)

 

食文化支える農業に貢献 感動与える仕事目指す

 

 倶知安の農業とともに歩んできた本間松藏商店は、今年創業101周年を迎えます。

 

 創業者の本間松藏氏は新潟県佐渡島で生まれました。当時、長男以外は島を出る慣習のため、松藏氏は岩内で商売をしていた親戚を頼って1916(大正5)年に北海道へ移住しました。

 

 松藏氏は、農業が発展してゴールドラッシュさながらの賑わいを見せていた羊蹄山麓地区に着目。倶知安の雑穀商で商いを学び、20(大正9)年10月に独立して「本間農産商」を創業しました。倶知安では04(明治37)年に函館本線の駅が開設、18(大正7)年には町制がしかれ、19(大正8)年秋には京極線(後の胆振線)が開通。倶知安は2路線の中継地として賑わいを見せていました。

 

 創業時は農協制度がまだなく、穀物の貯蔵や流通、肥料販売などは地域の商店が担っており、松藏氏はそこに着目して事業を始めました。取扱品目は澱粉用じゃがいも、穀物、薪、藁製品など生活に密着した商品です。厳冬期には隙間から雪が吹き込む倉庫でじゃがいもを凍らせないよう、松藏氏は乳呑児の守りをするように心血をそそいで商品管理を行ったといいます。その甲斐もあり事業は拡大し、第二次大戦中には、政府の管理下に置かれた米の指定倉庫の役割も担いました。

 

 松藏氏の長男で後に二代目となる年(みのる)氏は、61(昭和36)年ころ、包装資材に軽くて丈夫な段ボールを導入し、じゃがいもの小口配送に着手しました。従来は使用済みの米俵で50㌔㌘ずつ包装し流通させるのが一般的であり、画期的な取り組みでした。また、年氏は貯蔵施設の集約や保管方法の見直しを行い、じゃがいもの越冬管理や品質保持の改善を進めました。

 

 年氏の次女と結ばれ三代目を継いだ英夫氏は、産業クラスター政策の後押しを受け、豪雪地帯の地域特性を活かした雪氷冷蔵に着手。更に流通形態の変化に対応するため、パッケージセンターを開設、じゃがいもの安定供給と小ロット対応が可能になりました。

 

 82(昭和57)年生まれで昨年四代目を承継した浩規(ひろみ)氏は、大学卒業後にバス会社、東京の市場での修行を経て、2010(平成22)年に27歳で本間松藏商店へ入社。

 

 翌年の東日本大震災では物流にも多大な影響が出る中「地域の農業が日本の食を支えている」と改めて実感。「農業の衰退は食文化の衰退に直結する」と危機感を持ちます。

 

 自社ブランド「倶知安じゃが」と、雪室で長期熟成した「五四〇」は生産者の喜びとやりがいへ貢献し、ひいては地域の豊かさ、購入するお客様の豊かな食卓の実現を目指しています。浩規氏は「食物を売るだけでなく、体験や感動を与えられる仕事を目指したい」と意気込みを語ります。