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【1世紀企業 61】札米(札幌市)

2020年10月15日

コロナ禍で地域社会に貢献 理念持ち時代の変化へ対応

 

 1887(明治20)年頃、九州から多くの士族が屯田兵として新琴似に入植しています。初代の酒匂(さこう)九郎は、鹿児島県から新琴似に入植。1920(大正9)年に米穀販売店として酒匂商店を創業しました。当時は高価だった精米機を購入出来たことで、設立されたばかりのホクレンから精米の委託を受け成長していきました。米を本州から仕入れては馬ぞりや、一人で60㌔㌘もある俵を4つも担ぐなどして運んでいたといいます。

 

昭和13年正月、店頭にて初荷の風景

 39(昭和14)年には米穀配給統制法が制定され米屋も許可制となり、42(昭和17)年に食糧管理法が制定されると、配給通帳制度が全国に広がるなど戦時統制下で食糧難が続きました。九郎が59歳の若さで亡くなり、息子の與七が後を継ぎます。法人化とともに札幌米穀に社名変更し、74(昭和49)年には現在の社名となりました。與七はつながりの深かったホクレンに勤めていたため、その間、與七の妻和子が会社を切り盛りしました。

 

 89(平成元)年に3代目の酒匂隆光が代表に就任すると、好景気に乗じて石狩湾新港に大型精米工場を建設。ホテルや温泉、病院、寿司屋をはじめとした飲食店との取引を拡大させました。2000(平成12)年には、「米家きゅうさん札米」をオープン。食品表示の厳格化などが定められたJAS法の強化もあり、お客さんの目の前で玄米を量り売りするスタイルで安心感を提供しました。同時に「精米したてのお米が嗜好品になりうると気づかされた」と振り返ります。その8年後、現社長の亀井勇弥氏は生産者が直接お店に米を卸している現状に危機感を抱き、おむすびを対面販売する「おむすびきゅうさん」を開店。2年間は儲けも出ず苦しい日々でしたが、スーパーやコンビニには出来ない売り方を目指し、おむすびの実演販売も話題になりました。

 

 亀井氏は大学卒業後、父が先代と同級生だった縁で入社。同僚の酒匂氏の二女と結婚しました。15(平成27)年、隆光の急逝に伴い、亀井氏が4代目を継ぐと、さっぽろ東急百貨店への出店など販売先を広げた他、台湾の高島屋に始まりアジア各地での催事等を経験し、現地での出店を決めます。しかし、その直後にコロナ禍に見舞われ、計画は白紙となってしまいました。

 

 現在、コロナ禍の影響は大きいものの、インバウンド客に代わって近隣住民のテイクアウトが増え、「地域社会に貢献するという理念に立ち戻れた」と捉える亀井氏。「時代の変化に対応してきたからこそ100年続けることが出来た」と、今後も変わらぬ理念のために変わり続けていく決意を語ります。