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【わが人生わが経営 114】萬木建設(株)代表取締役会長 漆崎 隆さん(72)(くしろ支部)

2020年10月15日

 

売上より努力の結果 地域建設業、経営再生尽力

 

 漆崎さんは、1948(昭和23)年に札幌市で農家を営む両親のもとに7人兄弟の6番目として生まれます。67(昭和42)年3月に札幌西高を卒業し、68(昭和43)年4月に日本大学生産工学部に入学します。

 

 当時は、新幹線をはじめ、港湾や空港、ダム建設など全国的に大規模工事が盛んな時代。日本は高度経済成長の真っ最中で、「土木は分野が広く、道路やトンネルのほかに港湾や空港など壮大な技術力を必要とする職業。スケールの大きい仕事をする土木技術者に憧れを抱いた」と話します。こうして、大学では土木工学科に在籍し、ダム工学を専攻しました。

 

 大学卒業後の72(昭和47)年4月、地崎組(当時)に入社した漆崎さんは、東京本社で土木部の技術員として働きます。職務では、神奈川県や千葉県で進んでいた宅地造成事業に携わります。山を開き、沢を埋め、広大な団地内に橋や上下水道などのライフラインを整備する大規模な工事。「軟弱地盤改良をペーパードレーン工法やサンドコンパクションパイル工法など、当時の土木技術における最先端技術を活用していた。その時の経験は、自分の財産になっている」と振り返ります。

 

 実家で両親と暮らしていた兄が転勤することを受け、5年間勤めた地崎組を退職し、故郷である札幌市に戻ります。そして、札幌で建設会社を起業していた知人と出会い、77(昭和52)年に兜建設(後のカブトデコム)に入社。土木技術員として奔走し、取締役土木部長、取締役営業部長などを歴任しました。

 

 その後、84(昭和59)年に創業者・木村新一氏の死去に伴い、経営困難を極めていた土木施工請負会社である萬木建設に短期間の手伝いとして着任しました。当初は2年ほどの勤務予定でしたが、先代が19年掛けて築いてきた会社が廃業しかけている状況を目の当たりにし、経営再生を目指して釧路に残ることを決断します。半年ほどの引き継ぎ期間を経て、85(昭和60)年、36歳で代表取締役社長に就任しました。

 

 釧路での勤務は初めてで、人脈もない中で経営者としての一歩を歩み出しました。さまざまな苦労もありましたが、同年に同友会釧路支部に入会します。「同友会の同業経営者と交流し、就業規則や給与規定を参考にさせてもらったりと経営のノウハウを学ぶことが出来た。特に社内人事は悩みどころの一つで、札幌本部の故・大久保尚孝専務理事にアドバイスをいただいたこともあった」と、同友会での日々を振り返ります。

 

 その頃の日本経済は、第2次オイルショックからバブル景気に突入しようとしている時代でした。建築工事の受注は順調に伸びていき、経営者として会社を大きくするという使命に燃えていました。専業の土木に加え、建築にも視野を広げます。しかし、自社の良さと弱点を洗い出してみると、夏季に対して冬季は思うように工事が出来ず、利益が安定しない点が気がかりでした。弱点を克服すべく、88(昭和63)年に不動産賃貸業としてグループ会社の東陽工建を設立します。バブル崩壊後は、赤字倒産が相次ぐ状況下を不動産賃貸収入で乗り越えました。

 

 長い年月を費やした不動産業が軌道に乗り始めましたが、バブル後退期の余波もあり、2009(平成21)年に、事業規模を4分の1に縮小します。「売り上げよりも努力による結果が重要」と再び前を向きました。人や地域とのつながりを大切にし、地域密着型企業として経営を継続していきます。

 

 18(平成30)年には代表取締役から代表取締役会長に就任します。「経営者と従業員は互いにわかり合える労使関係でなければならない」とし、予想出来ない変化に対応していくには「社員同士の結束力を普段から築いておき、人間力を高めることが重要」と後進への思いを述べました。今も給料は社長から社員一人一人に手渡しする同社。従業員とのコミュニケーションを重視する姿勢は、長男で代表取締役社長を務める要さんにも引き継がれています。

 

 同友会では、90―95(平成2―7)年まで理事と釧路支部幹事長を務めました。経営者は孤独な部分も多く、「全道各地の会員と本音で話し合い、一緒に経営の勉強をした」と思い返します。中小企業の幹部社員の学びの場として、94(平成6)年の同友会釧路幹部大学開校を後押し。また、若手経営者を集めたふたけた会(現在のみけた会)の発足にも尽力しました。

 

うるしざき・たかし 1948年9月5日、札幌市生まれ。土木建設会社勤務などを経て、85年に代表取締役社長に就任。

萬木建設=本社・釧路市。土木・建設・大工・とび・舗装工事業。水産施設工事業、産業廃棄物収集運搬業。従業員16名。