【1世紀企業 60】舎 佐藤畳内装店(旭川市)
2020年09月15日
対話通じた地域密着商店 信用第一、ひたむきな仕事
旭川に上川、宗谷、釧路方面の鉄道の開通や第七師団が設置され、この時流を逃さず旭川商圏が誕生した1920(大正9)年4月、初代店主の佐藤養三郎氏は当時活発だった炭鉱住宅で培った畳張り替え作業の経験を生かす「舎 佐藤畳店」を創業しました。
屋号は「舎(やまきち)は末広がりに吉を呼ぶ」との意味を込め、長男だった養三郎氏は次男文次郎氏、三男繁雄氏、四男正雄氏に仕事を指導し4兄弟で畳稼業に精を出しました。当時は畳をリヤカーに載せ旭橋を渡って現場に向かう。それを手伝う小学生の二代目の禧一氏は、その後冬は東京や熱海の温泉街で出稼ぎをこなし、帰旭後は一針の手縫いの仕事に明け暮れる。「信用第一・親切丁寧」を信条に住宅、ホテルや温泉街の内装工事もひたむきにこなす。
そんな父を見て三代目の英行氏は育ちました。「畳屋なんて絶対やらない」と思っていた英行氏は、毎日の手伝いで仕事が自然と身に付きました。
70年代のオイルショック、和から洋への転換の波が押し寄せ畳の需要が落ち込む中、先代の禧一氏は内装工事の需要の高まりを判断し、英行氏は畳で大学に行かせてもらった恩を返そうと、畳と内装を覚える修業の道に進みます。当時は高卒や中卒が主流。大卒で何の知識も無い自分に葛藤しながら、仕事で周囲の信頼を得ていきます。
昭和が平成に変わる頃、自らも転換しようと89(平成元)年に社名を「舎 佐藤畳内装店」に改め家業を継ぎました。バブルがはじけた数年後、英行氏は毎年一つ資格を取る事を決意し、その後92(平成4)年から2004(平成16)年にかけて、壁装技能士1級、プラスチック系床仕上げ1級技能士(北海道技能競技大会で1級組部門トップ)、畳製作1級技能士、表装1級、カーペット床仕上げ1級技能士など5つの1級資格を45歳で取得します。
この頃から経営を考え、14(平成26)年から厚生労働省ものづくりマイスターとして後継者を育成し、自らが代表を務める業界団体で累計500枚以上の畳を提供、「日本のたたずまい、日本の心を伝える」をテーマに、シックハウス症候群の原因となる有害物質を吸着することや、保温性や涼しさを演出するなどの価値を地域で伝えています。
英行氏は「今も修業時代のことを思い出す。仕事の面白さは、出来なかったことが出来るようになること。良い成績が大事ではなく大会に向けて努力し、気になる人の仕事に刺激を受け向上心を燃やすことが重要」と語ります。経営の理念は地域密着商店経営。仕事を通じて自分を出し、対話を通じ信用を得て気持ちが通じ合った仕事をするとの信念で、創業100年目を迎えたことしも、英行社長は四代目となる雅俊氏と共に道内各地を駆け巡っています。