【わが人生わが経営 113】北海立地(株) 代表取締役 大場 勝己さん(76)(札幌支部)
2020年09月15日
人々に支えられ40年 顧客が損をしない物件を
7月に会社は創業40周年を迎えました。この年を迎えられたことは、自らの努力だけではなく「お客様や従業員の皆さん、建設、土木、不動産関連企業など、多くの人々に支えられたからこそ」と、周囲への感謝を忘れません。
大場さんは1943(昭和18)年、樺太で生まれました。日本の敗戦に伴い、2歳で両親、姉、妹とともに樺太から引き揚げ、父の兄が住んでいた道東・池田町東台に移住します。
高校卒業後は帯広で自動車販売会社に就職し、自動車用品の営業部門に配属。仕事を通じてタクシー会社や運送会社の経営者らとの出会いがありました。当時の世間の月給は1万円程度でしたが、経営者らと交流を重ねる中、個人の努力次第でより多くの給与を得られる仕事もあると知り、社会の中で自分の力を試し結果を得たいという気持ちが芽生えます。
会社員生活に別れを告げ、68(昭和43)年9月に札幌で営業車に乗ります。約2年で目標の資金を貯めた後は、個人経営のトラック運送を始め、夏季は建設工事用の砂利運搬、冬季は栃木や千葉など道外まで出向くなど、自身の実力を試すように仕事に励みました。
このような生活の中、大場さんが不動産業界と巡り会うきっかけとして、2つのエピソードがありました。営業車に乗っていた頃、不動産会社に勤める地元の同級生から、物件購入の話を持ちかけられます。同級生の紹介とあって勧められるままに購入した土地は、実は山奥の将来的に絶対に価値が期待出来ないような物件でした。
さらに、20代後半にも知人から東札幌にある物件を紹介されます。条件などの詳細もあまり理解出来ていませんでしたが、相手の言うことを信じ、居酒屋を始めます。自身では購入したつもりの物件でしたが、後から貸主に家賃の支払いと敷金の供託が必要な居抜き物件であることに気付きます。
相手を疑わずに信じてしまった、いわば大場さんの人柄の良さがあだとなったつらい経験とも言えますが、「これで自分の無知を知ったことで、不動産業界に興味を持てた」と明るく語ります。そして、宅地建物取引士の資格取得を目指し猛勉強に励んだ結果、見事1回目の試験で合格しました。
73(昭和48)年1月、現在の石狩市花川南地区である「新札幌団地」の開発を手がけた内外緑地(後にユー・アンド・アイ・マツザカ)に入社しますが、オイルショックのあおりを受けて76(昭和51)年に倒産してしまいます。
社長の故・松坂有祐氏は、高額所得番付の常連で当時の北海道を代表する経済人。高いリーダーシップを持つ一方、周りが見えなくなるほどに自身の理想や夢に突き進む面もありましたが、業務における大場さんの積極的な意見や要望を受け入れてくれ、「不動産業務に関する基本、多くの経験を与えてくれた」と自身の〝第2の親〟であると振り返ります。
倒産後の残務整理業務を経て、80(昭和55)年に北海立地を創業します。「かつて不動産知識のない自分が失敗したように、知識のないお客様が損をして悲しい思いを決してさせない」との信念を持ち、顧客に対して常に誠実な仕事を徹底してきました。
創業当初は、戸建て住宅用地の開発・売買・仲介を手掛け、89(平成元)年には賃貸住宅の管理業務もスタート。順調に売り上げを伸ばしていきます。宣伝広告は自社の物件情報のみとし、会社のイメージアップを図る広告は一切行いませんでした。会社の規模や事業の拡大にとらわれず、安定した事業規模を継続することで、顧客との信頼関係を大切にしてきました。
また、同友会の合同企業説明会に参加したことで、2級建築士の資格を持つ学生を採用します。これがきっかけで、96(平成8)年には戸建て住宅の施工を手掛ける子会社の「北のハウス」を設立しました。
新型コロナウイルスの影響で世の中は大変な状況にありますが、「今後ワクチン開発といった対策がどんどん進んで早期に収束する。経営者としてこのように希望を持って前を向いていきたい」と気持ちを奮い立たせます。
同友会には、87(昭和62)年に入会。2000(平成12)年から16年間、札幌支部中央西地区会幹事を務めたほか、札幌以外の道内各地で開かれた会合やイベントなどにも積極的に参加してきました。
「同友会ではマスクを着けていても、顔を見ればすぐに気付いてあいさつしてくれる」。コロナ禍にあっても、会員同士の絆は強いと感じています。
おおば・かつみ 1943年10月10日、樺太生まれ。自動車販売会社、不動産会社勤務などを経て、80年に北海立地を創業。 北海立地=本社・札幌市。不動産売買・仲介、賃貸物件仲介・管理、土地付き注文住宅受注。資本金4800万円、従業員6名。 |