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【1世紀企業 59】ハコー印刷(函館市)

2020年08月15日

函館で石版印刷技術広める 地域の存続に社業で貢献

 

 20世紀初頭、函館は北洋漁業の拠点港として隆盛を極めていました。ハコー印刷は自由主義が声高に叫ばれた大正デモクラシーの萌芽が見える、1913(大正2)年に創業しました。

 

 噴火湾に面した小さな漁村で育った初代社長濱中栄吉氏が印刷業に触れたのは、学生時代でした。函館の学校に通うため、印刷所に下宿していましたが、1899(明治32)年の大火で状況が変わります。下宿先の家族から「印刷工場を手伝ってほしい」と言われたのです。学校を休んで工場を手伝い始めた栄吉氏は、印刷業に興味を持ち始めます。まだ数え年で15歳の時でした。

 

函館大火移転後

 その後、学校を中退するほど印刷にのめり込んだ栄吉氏は、さらに技術を磨くべく上京し、蔵前の印刷所に就職。浅草の芝居や落語を楽しみながら、技術を磨きました。

 

 そんなある日、父が重体という知らせが届きます。栄吉氏は直ちに帰函。幸いなことに容体は回復し、栄吉氏はこれを機に、函館でかねてより望んでいた独立を考えるようになります。

 

 その頃、趣味の落語研究会を函館に作りたいという話を耳にします。栄吉氏は本場浅草の落語を聞いてきた経験をいかし、この一員として活動を始めます。

 

 落語研究会の仲間の後押しもあり、栄吉氏は1913(大正2)年に「ハマナカ石版所」として開業。独立の夢を叶え、21(大正10)年には「ハコー印刷」と社名を改め、法人化を果たします。

 

 二代目となる濱中治男氏は、栄吉氏が築いた石版印刷の技術を広めることに注力しました。函館にも石版印刷の会社はありましたが、活版印刷業者の下請けがほとんどでした。

 

 治男氏は、栄吉氏が唱えていた「活版と石版は進むべき道が違う。下請けではなく、我々の技術を必要としている人のもとに直接営業に出て仕事を頂く」という考えを継承します。鮮やかな色で表現できるという石版印刷の特徴を生かし、水産加工品の缶詰のレッテルや、道産のお菓子のパッケージなどを手掛けるようになります。営業エリアは道南全域や青森にまで広がりました。

 

 三代目となる現社長の濱中正治氏は、49(昭和24)年生まれの71歳。東京の大学を卒業した後、72(昭和47)年に同社へ入社。87(昭和62)年から代表取締役を務めています。

 

 正治氏は「地域と共にあり続ける会社。地域が存続するために、社業を通じて貢献していきたい」とした上で、「どんなに時代が変わっても、大事にしていることは変わらない。相手の立場で考え、必要とされるもの、喜ばれるものを作り続けたい」と、今後に向けた意気込みを語ります。