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【わが人生わが経営 108】(有)利尻屋みのや 顧問 簔谷 修さん(80)(しりべし・小樽支部)

2020年04月15日

ホラ吹き夢突き進む

100年暮らせる街づくりを

 

みのや・おさむ 1940年2月23日、利尻島出身。製缶会社勤務を経て、51歳で創業。2019年10月から現職。

 

利尻屋みのや=本社・小樽市。昆布・海藻小売り店。小樽市内で5店舗を展開。資本金500万円。従業員30人

 

 小樽にある唯一の昆布専門店です。店の看板や商品には怪しい言葉が並びます。自身を「ホラ吹き」と呼ぶ簑谷修さん。たった一度の人生だからと遊び心を持って、うそはつかずホラを吹いて夢に向かって進んできました。

 

 北海道宗谷地方の日本海に浮かぶ利尻島。簑谷さんは島東側の鴛泊村(現・利尻富士町)で、9人きょうだいの五男として生まれます。父親は漁業や水産加工に加え、街唯一の商店も営んでいました。そういった環境からか家では夜な夜な大人が集まり、酒をくみ交わしながら港や道路、地域の将来を熱く語っていました。簑谷さんは「大人たちが夢や理念を膨らませ、それを鼓舞するような様子を見ていたことが、私の〝ホラ吹き〟につながった」と振り返ります。

 

 当時、父の商店に入る商品や物資は全て小樽の会社からで、にぎやかで活気あふれる小樽はとても魅力的でした。〝小樽へ行って社長になる〟という夢を抱き、簑谷さんは1956(昭和31)年、16歳で島を出ます。

 

 そして、千秋高校(現・小樽工業高校)の機械科を卒業。小樽の製缶会社に30年勤めますが、自分は社長になれないと悟り退職を決意します。ふるさと・利尻の昆布を販売しようと計画しますが、「昆布で飯は食えない。昆布屋とびょうぶは広げると倒れる」と指摘される始末。否定されたからこそ競争相手がいない昆布が良いと、かえって反骨心に火が付きました。

 

 函館に嫁いだ姉から、小安海岸で養殖され、芽が出て3カ月ほどで間引きした柔らかいマコンブが送られます。一般の食卓には上がらず、漁師が食べるというものでしたが、これまでの厚くて固い、だしに使われる昆布のイメージが覆されました。こうして煮込みや炒め料理に使え、湯豆腐にも入れて食べられる昆布「湯どうふ昆布」を開発しました。

 

 51歳の1991(平成3)年、昆布専門店「利尻屋みのや」を堺町通沿いで創業。小樽で社長になるという夢はかなったものの、余りにも売れないので独自の〝怪しい商法〟に切り替えました。

 

 「七日食べたら鏡をごらん」。店頭に怪しいキャッチフレーズを書いた看板を掲げます。栄養が豊富で健康にも良い昆布を食べることで、女性の美容にも良いとのアピールを狙ったものですが、妻の茂子さんは「インチキくさい」と一刀両断。ですが、このインチキくささがお客さんの目に留まると考えます。「商売は売るより人を集めることが大事」と。

 

 商機はネーミングにあるとし、商品名もユニークに。「アラジンの秘密」「百五十歳若返るふりかけ」と、一瞬見た・聞いただけでは分からないですが、怪しさに興味を引かれます。「アイデアを考えるのはトイレが多く、中はメモや本だらけ」と明かします。

 

 店内にも仕掛けを施します。売り場面積は15坪ほどに抑え、30人ほどのお客さんが休憩できるスペースを設置。そこでは商品を使った昆布茶やおみそ汁の試飲・試食もできます。「店内にお客さまが休んでいることで、次のお客さまが入りやすく感じる」。これは映画「男はつらいよ」の寅さんから学んだ〝サクラ効果〟と説きます。

 

 一方で、簑谷さんは〝文化のない所に経済の発展はない〟と考えます。本店には昆布の歴史をユニークに紹介するミュージアム「ホラ吹き昆布館」を併設。取り組みは堺町通に大正の街並みを取り戻す構想へつながり、ついには2007(平成19)年、文化の核とする拠点「出世前広場」を開設。自ら5億円を投じ、街並みづくりの起爆剤を作りました。

 

 「観光地として小樽が生き残るには〝レトロ路線〟が最も重要」と指摘する簑谷さん。広場は複数棟で構成するミニ商店街の形式ですが、大正・昭和のデザインで統一。飲食店や旅館などが入るほか、小樽を代表する企業の歴史や昔の生活道具を展示するなど文化の発信も担っています。

 

 簑谷さんは、先に死に行く大人の務めとして「子どもや孫が安心して暮らせる街並みをつくることが大切」と語ります。幼い頃に利尻で大人たちが地域のためにと意見を交わす姿を通じ、自分だけではなく常に〝公〟を考えるという姿勢を学んだからです。第二のふるさと・小樽へ最後の奉公として、今後も100年暮らせる小樽を目指し、街並みづくりに取り組んでいきます。

 

 同友会には、2000(平成12)年に入会し、10(平成22)年からしりべし・小樽支部の幹事を務めます。支部では井上一郎さんらと交流を深め、くしろ支部などで講演しました。