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【1世紀企業 54】石塚建設興業(稚内市)

2019年11月15日

造船から転換 総合建設業へ 地域との信頼築いていく

 

 建築を中心に土木、設備も含む総合建設業として、時代とともに変化する顧客ニーズの多様化に応えてきた石塚建設興業。最北・稚内の地で造船業から始まり、建設業への転換を図った同社は、ことしで103年を迎えました。

 

 創業者の慶蔵氏は、幕末の1867(慶応3)年、新潟県佐渡市宿根木で生まれました。廻船業の基地として造船業が盛んだったこの地で船大工の道を歩みますが、85(明治18)年の国の和船建造禁止令以降、造船業は徐々に衰退していきます。

 

 地元での将来を見いだせなかった慶蔵氏は北海道の漁業が盛況と聞き、1909(明治42)年に小樽や増毛、宗谷地域を巡ります。行く先々で大群のニシンの産卵で海が白くなる現象「群来る」を目にし、さらに稚内の利矢古丹(現・富磯)の網元からはニシン漁の船を作ってほしいと懇願されたことで、渡道を決意します。

 

旧造船所の前浜

 13(大正2)年から2年ほどは、春から冬までの期間に富磯へ出向き、船底の幅を広げて安定度を向上した新たな船を製作。16(大正5)年には家族らを連れて稚内へ本格的に移住し、造船業を始めます。

 

 長男で2代目の宗平氏は父と同じく船大工の道を歩みますが、小樽、次に朝鮮の造船所で勤務し、太平洋戦争の敗戦・引揚げにより帰国。45(昭和20)年、再び富磯で造船業を始め、3年後には建築、土木、製材部門を併設します。

 

 その後のニシンの漁獲量減少や、51(昭和26)年の北海道開発局発足によるインフラ整備の促進をきっかけに、建築・土木部門を強化。63(昭和38)年には法人化し、石塚建設興業を設立しました。現本社所在地の稚内市潮見1丁目に新事務所を完成させるとともに、建設業者としての本格的な事業展開をスタートします。

 

 3代目を引き継いだ現会長の宗博氏。地元で電気、管工事業者が少なく、地域の鉄筋コンクリート造の建築が進んでいなかったことから、電気、管工事の関連会社(現在は合併)を設立したほか、72(昭和47)年には札幌支店を開設するなど、積極的な事業拡大に努めてきました。

 

 近年はインバウンド観光で盛況なニセコエリアで、コンドミニアムの建設なども手掛けます。海外顧客のためか個性的な造りの設計が多く、高度な技術が求められますが、信頼に応えて数多くの実績を残しています。

 

 時代の変化に伴う事業転換はありましたが、地域や顧客のニーズに対応していくという〝創業の心〟は、造船業から建設業となっても変わらず受け継がれています。先代たちが紡いだ歴史を次世代に引き継ぐため、4代目の英資社長は「技術だけでなく、顧客や地域との信頼を築き挙げていく姿勢を大事にしたい」と語ります。