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【1世紀企業 53】田中酒造(小樽市)

2019年10月15日

「国内観光酒造」目指して 外国人雇用や電子決済も

 

 ことし、創業120年を迎えた小樽唯一の造り酒屋「曲イ(カネイ)田中酒造」は北海道ならではの地酒造りを追求。1998(平成10)年に北海道の酒造好適米が開発されて以降は、主原料である酒造好適米は北海道産を100%使用しています。

 

昭和初期の本店

 同社は、創業者の田中市太郎氏が岐阜県から小樽に移り住み、1899(明治32)年に小樽市色内町に焼酎やみりんなどを製造販売する「曲イ田中酒造店」を創業したことが始まりです。当時、小樽に大勢いた港湾労働者を相手にした商売が活況を呈し、事業を拡大。23(大正12)年には清酒の製造・販売を始めます。

 

 40(昭和15)年頃に2代目に就任した俊二氏は、戦時下での経営を余儀なくされ、大変苦労しました。現存する当時の出勤簿には多くの男性社員が出征した記録があり、市太郎氏の妻のキヨ氏を中心に女性達で会社を切り盛りした様子が伝わってきます44(昭和19)年には清酒製造が小樽合同酒造への集約を命じられ、その他の酒の製造と販売のみの営業を強いられました。

 

 戦争直後の厳しい経営環境の中、戦地から最初に帰ってきた六男の良造氏が49(昭和24)年に3代目として事業を承継。良造氏は1950年代に独自の清酒製造部門を復活させ、56(昭和31)年7月4日に田中酒造を創立します。しかし、この頃から清酒以外のアルコール飲料が普及し、清酒の消費量が急激に減少する時代を迎えます。

 

 4代目の現社長の一良氏は、東京で銀行員として勤務していましたが、病に侵されていた先代から家業を継ぐように頼まれ、88(昭和63)年に銀行員を辞めて社長に就任。始めに手掛けた事業は、本店を観光客向けに改修することでした。27(昭和2)年に建てられた木造2階建ての本店は小樽市の「歴史的建造物」に指定されており、店内には古い看板や帳簿などが展示され、昔の造り酒屋の雰囲気を楽しめます。

 

 95(平成7)年には、製造場を亀甲蔵(きっこうぐら)と名付け、北海道の冷涼な気候を活かして1年を通じて仕込む「四季醸造」を見学できる酒蔵として稼働させます。今では年間20万人以上が訪れる観光酒蔵ですが、当時の業界内では邪道と非難されました。一良氏は「生き残りをかけた大博打のような経営戦略だった」と振り返ります。

 

 近年は増加するインバウンド対応策として、外国人社員の雇用やキャッシュレス決済の導入も最先端を意識して進めています。「酒をはじめとする発酵食品と観光はエンターテインメント。さまざまな国の人に何度でも訪れたいと思ってもらえる国際観光酒蔵として発展していきたい」と語ります。