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【1世紀企業 52】山下水産(寿都町)

2019年09月15日

昭和20年代初め、自社工場前での集合写真

 

素材の良さ生かす手作り 新たな価値創造にも期待

 

 山下水産の歴史は、1800年代後半に創業者の山下長三郎氏が石川県から寿都に移り住み、「山下商店」の屋号で食品問屋を開いたことに始まります。残念ながら、当時の詳しい記録が残っていないため、2代目の榮吉氏が事業を継いだ1915(大正4)年が創業年になっています。

 

 長三郎夫妻は子どもに恵まれなかったため、跡取りとして後に2代目となる榮吉氏を養子として迎え入れました。1915年に事業を承継した榮吉氏は持ち前の企業家精神を発揮し、取り扱う商品の幅を広げ、米、味噌、醤油、海産物そして水産加工品などさまざまな商品を販売。寿都湾の目の前に立地し、いつでも新鮮な原料が入荷する利点を生かし、後に看板商品となる「しらす佃煮」の製造を始めます。加えて、当時この地域で隆盛を極めた定置網漁も始めるなど、事業の多角化を進めました。

 

 3代目の榮吉氏(名跡:代々継承される個人名)は、ロシア海域でのサケやマスの遠洋漁業に乗り出し、石巻で造船された96㌧型の船を2艘有するなど、地元でも有数の船主として名をはせました。

 

 佃煮づくりは、榮吉氏の妻の和子氏が引き継ぎました。鮮度の良いしらすを生のまま炊き上げることで、素材本来の風味を逃がさない「生たき」製法と、研究熱心な和子氏が苦心の末に極めた秘伝の〝硬くソフト〟に炊き上げる技は、今も引き継がれています。

 

 77(昭和52)年には、社名を現在の「山下水産」に変更しました。当初は好調だった漁業も70年代後半になると、日ソ漁業交渉の影響などもあって漁獲量が減少し、厳しい経営を強いられることになります。

 

 現社長を務める4代目の邦雄氏は、漁業から水産加工品の製造・販売に事業転換を図ることを条件に、80(昭和55)年に家業である山下水産に入社。専務を経て、93(平成5)年に社長に就任します。しらす佃煮以外にもホッケの飯寿司や数の子など、商品数を増やしてきました。機械化による省力化を進めることで、ギフト商品なども展開していますが、素材の良さを伝えるために昔ながらの手作りにこだわっています。

 

 2007(平成19)年8月には、岩内食品工場をHACCP対応の施設に増改築するなど製品管理、衛生管理に務めています。また、人手不足を解決することを目的に、年ほど前から外国人や障害者の雇用にも取り組んでいます

 

 今年の春に、5代目となる喜久氏が入社。邦雄氏は「劇的に時代が変化するからこそ、若い世代が残すべき文化を守りながらも新しい価値を創造しながら経営してほしい」と次代への期待を語ります。