【わが人生わが経営 102】プロセスグループ夢民舎 代表取締役 宮本 正典さん(78)
2019年09月15日
「チーズの町」を再び 震災受け絆の大切さ学ぶ
早来町(現・安平町)は、1933(昭和8)年、雪印メグミルクの前身である北海道製酪販売組合が、本格的なチーズ専門工場を作った町。戦後の食生活の欧風化に伴ってチーズの生産が拡大し、順調に発展しましたが、85(昭和60)年に十勝管内の大樹町へ工場が移転しました。そこで、宮本正典さんは「この町をもう一度『チーズの町』にしたい」と強く願い、仲間6人と共に早来町の旧給食センターを借り受け、チーズ製造に挑戦することに―。90(平成2)年、夢を持った人たちの集まりという意味を込めて、「プロセスグループ夢民舎」と名付けた会社を創設しました。
宮本さんは、40(昭和15)年12月19日に早来町で、製菓店を営んでいた両親のもとに生まれました。早来町の小学校と中学校を卒業後、苫小牧東高校に通学していましたが、1年の時に9歳年上の兄が亡くなったため、高校卒業後は家業の製菓店を継ぐことになりました。30歳で結婚。製菓店は弟が継ぎ、奥様と飲食店の経営を始めました。
全国で地域経済の発展に繋げようという、一村一品運動が盛り上がりを見せている頃、宮本さんは「一村一品の特産品としてチーズを作ってはどうか」と仲間で語り合っていたそうです。町の給食センターが移転新築され、跡地の利活用方策が模索されていることを知った宮本さんは、町にチーズ製造を提案し、90年に地元の酪農家や農家など仲間6人と共に「プロセスグループ夢民舎」を創設。宮本さんが代表となり、旧給食センターを借り受け、試行錯誤しながら自分たちのオリジナルのカマンベールチーズを製造しました。
チーズ生産が軌道に乗り、月間5000個を製造するようになった94(平成6)年、唯一常勤として会社創設時から製造を担当していた技術者が退社しました。皆途方に暮れましたが、宮本さんが常勤となって製造現場に立ち、新たにチーズの専門家に指導を受けて製造者としての再スタートを切ります。試行錯誤の末にできたのが、食べやすくて美味しいと評判の「カマンベールはやきた」。97(平成9)年には2年の研究期間をかけて念願のブルーチーズを販売。98(平成10)年「第1回All Japanナチュラルチーズコンテスト」では、「カマンベールはやきた」は全出品中たった1点のみが選ばれる「特別審査員賞」を受賞し、夜も眠れないほど嬉しかったそうです。2004(平成16)年からは、チーズを作るときにできるホエー(乳清)を豚に与える養豚業も始め、この豚肉を「夢民豚(むーみんとん)」と名付けました。肉は直営の「レストランみやもと」でソテーやハンバーグ、トンカツとして食べることができ、地元客だけではなく、観光客などで店が混み合います。
「自分に与えられた以上のことはしない、と会社経営者として、身の丈に合う経営を心掛けてきました。亡くなった兄は感性豊かでセンスがあり、斬新なアイデアを持っていました。その兄の『残念だった』という最期の言葉が自分を押してくれて、これまでやってこれたように思います」。
宮本さんは「自分は50歳からチーズ作りを素人から始め、作業しながら知識習得に励んだ」と、試行錯誤して製造に取り組んだ過去を振り返り、「これまで苦労もあったが、チーズ作りは本当に楽しかった。道内のみならず、全国に商品が流通し、夢民舎のチーズをお客様にお届けできることは本当にありがたいこと。自分たちの創業時の夢であった、町にチーズ作りの灯をもう一度ともして町の活性化につなげたいという想いがようやく形になってきた」と笑顔で話していました。
18(平成30)年9月6日に発生した北海道胆振東部地震では、安平町は震度6強の大地震に見舞われました。夢民舎でも棚などが倒れ、物が散乱するひどい状態。停電は1日半ほどでしたが、12日間にわたる断水でチーズが傷み廃棄処分されるなどの被害を受けました。「全国から心配する声が寄せられ、たくさんのお客様や企業様から復興応援のメッセージと共にチーズのご注文をいただき、とても励みになりました。また、中小企業同友会さまからは温情溢れるお見舞金をいただき、心から感謝しています。震災はとても辛い経験ではありましたが、仲間の繋がり、絆の大切さを深く学ぶことができたことは心の財産になりました」と語ります。
同友会には、83(昭和58)年9月に入会しました。「同友会は大変勉強になる、自分で考え想像し、自分の血肉になる場所だ」と大切にしています。
みやもと・まさのり 1940年12月19日、早来町(現・安平町)生まれ。同社創立時より代表取締役を務める。趣味は詩吟。
プロセスグループ夢民舎=1990年設立。ナチュラルチーズの製造・販売。資本金2000万円。従業員12人(パート含む)。