【1世紀企業 50】武田商店(旭川市)
2019年06月15日
製氷業で経営の基礎築く 専門性高め顧客に応える
道北の産業・経済の要として発展を続けてきた旭川。ことしで創業100周年を迎える武田商店が産声を上げたのは、まだ北海道区政が残る1919(大正8)年のことでした。創業時の所在地は旭川区5条7丁目。同社の歴史は現社長の曾祖母に当たる武田富代さんが、「お歳暮」や「かるた」を収める化粧箱の製造販売から始まりました。
30年がたち戦後間もない頃、武田商店の新たな基礎が生まれます。それが「氷」です。当時製造していた化粧箱は需要の多くが冬に発生するため、通年の売り上げが一定しないという悩みがありました。そこで売り上げが減少する夏に販売できる商材として、氷に目をつけたのです。
当時の冷蔵庫は氷の冷気を利用し、庫内を冷やす氷冷式が主流。そのため、企業のみならず一般家庭にも安定した需要が見込まれました。今ほど製氷技術が発達していなかった時代。氷の調達方法は現在よりも冬季気温が低かった旭川市内の凍った川から切り出していました。切り出した氷は氷室に断熱保存し、顧客からの要望に応じて取り出して販売していました。
氷の販売によって通年販売が可能となり、次に取り扱いを始めたのがドライアイスです。ドライアイスは食品鮮度維持のための需要はもちろん、医療機関の検体保存、葬儀の際の遺体保存に利用されます。
同社では、上川管内の葬儀会社や祭儀場からの依頼を一手に引き受けています。道内を見回しても同業者は少なく、昼夜を問わず注文が舞い込みますが、年中無休で顧客の要望に答え続けています。ドライアイス販売は、同社の売り上げの8割を占めるほどまでに成長しました。
創業から長く続けてきた箱作りですが、同社が製造していた箱は貼箱と呼ばれる製法で作られる、一つ一つ組み立てては包装紙で化粧を行う大変手間のかかるものでした。現在では大量生産向けの折箱が主流となったために需要が激減。残念ながら10年ほど前に製函業の幕を閉じることとなりました。
現在、社長を務めるのは4代目の武田壮平氏。インテリアデザイナーとして個人事務所を営んでいた同氏は、2016(平成28)年6月に祖父から事業を引き継ぎ、同時に法人化もしています。
会社を継ぐ際、家族からは「創業100年までは続けてほしい」と言われ、その言葉通り、一世紀企業となった武田商店。壮平氏は「会社を継いで3年、ようやく業界のことが分かってきた。200年続く企業を目指し、会社の仕組みを再定義する役目がある。これからは専門性をより高め、顧客のニーズに的確に答えられる企業を目指したい」と語ります。ひんやりと涼しい社内には、氷も溶かすほどの熱い想いがありました。