【わが人生わが経営95】(株)にしざき事務所 代表取締役社長 西﨑康博さん(72)
2019年02月15日
過疎地域に利便性を
若手へ自身の経験伝える
家族経営だった金物店を逆境にも負けず、独自の発想で道内有数のホームセンターに育てた西﨑さん。現在は地元密着の経営コンサルタントとして、自身の経験を若手経営者らに伝えています。
西﨑さんは、函館市湯の川地区にあった「つるや金物店」の長男として生まれます。建築関係用品を中心に生活雑貨も扱う店。忙しく働く両親を見て、小学生の頃から配達や店番を手伝っていました。
高校卒業後は慶応大学に進学。弟の信博さんが跡を継ぐ意志を持っていたことから、東京の証券会社、大手スーパーマーケットで会社員生活を送っていました。
家業を継ぐつもりはありませんでしたが、スーパーに勤務するうちに小売業の魅力に気付き、「いつかは自分でビジネスを手掛けたい」との思いが芽生えていました。そうした時、両親と信博さんから店を手伝ってほしいと頼まれ、帰郷を決断します。1978年のことです。
函館に戻ると、新たな試みに挑戦します。その一環として80年、店の倉庫だった場所に新店舗を開業しました。スーパー勤務の経験から「金物屋の買い物のしづらさを感じていた」という西﨑さん。対面販売が主流だった中、セルフサービスを導入。売り場面積は既存店の5倍となる約100坪とし、25台分の大型駐車場も設けます。セルフサービスによって客は自分が知らなかった商品を見つける喜びもでき、好評を得ました。
また、地元では業務関係の掛け売りは年2回払いが慣習となっていましたが、毎月支払ってもらえるよう顧客に要請して回りました。現金商売の大切さを感じていたからです。他の金物店も追随し、取り組みは市内中に広がりました。
新しい形態の店が成功し、多店舗化を急ぎたかった西﨑さんですが、出店に慎重な両親の姿勢もあり、2号店が実現したのは自身が社長に就任した数年先のこと。しかし、この間に地方都市の人口減少が進み、土地の値段も上がったことで立地できる場所は限られていました。
さらに、ホームセンターの石黒ホーマ(現・DCMホーマック)が既に道内主要都市に出店攻勢を掛けていて、同じ土俵で闘うのは困難になっていました。「あの空白の時間はもったいなかった」と振り返ります。
同社と競合しない方法を模索し、たどり着いたのが人口が少ない小商圏への出店。後の「ホームコンビニツルヤ」へとつながります。
95年、小商圏型店舗1号店を奥尻に出します。離島のため、フェリー代がかさみますが、「マーケットシェアを高くしてお客をつかめば、採算が合う」と考えました。離島ですが、販売価格は函館と同一です。
食品の販売も始めます。当時は食品を扱うホームセンターはありません。事前調査で、離島であるが故に消費期限が切れた食品でも販売される光景を見ていました。手始めにカップ麺や清涼飲料水を置くと飛ぶように売れました。
奥尻の人口は出店当時で約4300人、現在は3000人を割っていますが、高いシェアを獲得していることで経営が成り立っています。
「小売りの役割は過疎地域にも利便性を提供すること」を掲げ、その後も利尻、羅臼、斜里などと小商圏への出店を続けていきます。
ツルヤの快進撃に、ついにホーマック側から提携話が舞い込みます。小商圏のノウハウを取り入れたいホーマックと、「大手の高い調達力を活用し、出店を加速させたい」という西﨑さんの考えが一致。2003年に同社と業務・資本提携します。
グループ企業になったことで、出店エリアは大きく拡大。現在はホーマックニコットとして、北海道から東北、関東の一部まで合計100店舗を数えます。
50店達成が見え、自身も65歳を迎えようとした2011年5月、「一つの節目」と考えて社長を退任。函館に戻り、にしざき事務所を開設しました。
得意分野の立地戦略をはじめ、経営者としての見識を生かして無償で経営相談に乗るほか、函館地域産業振興財団のビジネスプラン作成スクールで校長を務めています。自らの経験を踏まえ「若い人は失敗しても取り返しが付く。失敗から学ぶことは多い。後継者には早く譲るべきでは」とも。
同友会には87年に入会し、函館支部の役員を歴任しました。「皆さんストイックに勉強していて驚いた。立派な経営者ばかりで参考になった」と言います。「いつまで自分がお役に立てるか」としながらも、若い経営者が羽ばたく姿を楽しみにしています。
【プロフィール】
にしざき・やすひろ 1946年9月7日、函館市生まれ。実家の金物店をホームセンター「ツルヤ」に発展させ、2011年から現職。
にしざき事務所=本社・函館市。2011年6月創業。経営コンサル。資本金1000万円。従業員2人