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わが人生わが経営88 (株)中山工務店代表取締役 中山雄三さん(70歳)

2018年06月15日

高齢化に立ち向かう 建築の専門家として協力

 

「派手な町ではなく、バブルが来たということもありません。小さな仕事を一つ一つ積み重ねて今に至ります。これからも建築の専門家として地域に貢献していきたいですね」

 

 中山さんは1948年、壮瞥町に生まれます。父は全道展開している建設会社に勤めた後、52年に弟2人と壮瞥町内に建築会社の中山製作所を創業。ものづくりの現場を身近に育ちました。そうした環境も手伝い、大学は千葉工業大学に進み、金属工学を学びます。

 

 卒業を控え、進路を考えていた時、大学のOBから「いつか故郷に帰るのなら、大きな会社に勤めて歯車の一つになるより、小さな会社でいろいろなことを見聞きした方が良いのでは」とアドバイスを受けます。中山さんは兄を早くに亡くしていて、いずれは帰郷することを考えていました。

 

 そこで、就職先に選んだのは東京都内の小さな水処理会社。大学の卒論で、工場から排出される銅を含んだ水酸化物から、粗銅を取り出すことをテーマに据えていたことも後押ししました。

 

 従業員5人の会社でしたが、社長がシアンの分解に関する特許を持っているなど、技術力のある会社。関東を中心に遠くは長野県まで、相手先も町工場から自動車メーカー工場、ロケットエンジン工場と多種多様で「普通なら入ることも、見ることもできないものに触れることができ勉強になった」と振り返ります。

 

 充実した会社員生活に転機をもたらしたのは、77年から78年にかけて起きた有珠山の噴火です。テレビニュースでは噴煙が高々と上る様子が映し出され、不安が募ります。年を重ねた親の様子も気に掛かっていたことから、78年3月に帰郷します。

 

 噴火の沈静後も10年ほどは、地元では建築の仕事はほとんどなかったといいます。土地の形状が大きく変化して境界が不明となり、土地売買ができなかったためです。観光資源の温泉にも客が来ず、経済は冷え込みました。公営住宅の修繕など小さな仕事を積み重ねながら、再興の時をうかがいます。

 

 会社の将来を考える中、中山さんは建築工事に関わる資格の取得を重要視します。「昔は腕が良ければ仕事があった。しかし、施工に関する法律が変わり、資格者がいなければ入札にすら参加できない時代」を迎えていました。従業員を札幌の講習会まで送り出して資格の取得に努め、そのかいもあって役場発注の新築工事を徐々に請け負うようになっていきます。

 

 技術力向上にも余念がありません。昭和50年代前半までは断熱工法などが確立されておらず、住宅産業はクレーム産業といわれたほど。「どこかで工法の勉強会があると聞けば、時間を惜しまずに足を運んだ」と懐かしみます。

 

 また、親戚の縁で札幌のハウスメーカーの下請け工事があったことも会社の支えとなりました。景気が良かった昭和60年前後、鉄鋼メーカーに勤める人たちが室蘭市や登別市でマイホームを新築し始めました。「札幌の会社ということで断熱技術などが進んでいて、施工技術も学ぶことができ、会社の成長につながった」

 

 94年の社長就任を機に職人を給料制としました。建設業界では職人は日給月給が一般的。仕事が多い夏場は収入が多いものの、仕事がない冬場は実入りが減ります。会社も同様。しかし「職人、その家族が安心して生活できるように」との思いが駆り立てました。

 

 日本が直面している人口減少、高齢化は地方ほど深刻です。壮瞥町では人口は最盛期の約3分の1となり、高齢化率は4割近くに達しています。

 

 中山さんは、町の高齢者福祉、介護保険計画に関する委員会の委員長を務めるなど、こうした問題に向き合っています。国の政策で在宅介護が推進されている中、2級ホームヘルパーや福祉用具の専門相談員の資格も取得し、その知識を在宅介護リフォームに生かしています。

 

 「年齢とともに自分のできる範囲は決まってくる」としながらも、町が掲げる『いつまでも自分らしく明るく元気で暮らせるまちづくり』の実現に向け、「建築の専門家として協力していきたい」と話す横顔には意欲がみなぎります。

 

 同友会には89年、建設業界の仲間から「垣根を越えて情報共有し、育っている会がある」と紹介を受けて入会しました。例会などで報告される経営者の体験談に「話せるようになるまでどれだけ苦労し、泣いたか」と思いを巡らせながら耳を傾け、「いろいろな話が自分を育ててくれている」と実感しています。

 


 

 なかやま・ゆうぞう 1948年4月14日、壮瞥町出身。東京で会社員生活を送った後、有珠山噴火を機に帰郷。94年から現職。

 中山工務店=本社・壮瞥町。1952年に創業。新築住宅、増改築、在宅介護リフォームなどを手掛ける。資本金1000万円。従業員4人。