011-702-3411

営業時間:月~金 9:00~18:00

同友会は、中小企業の繁栄と、そこで働く全ての人の幸せを願い、地域社会の発展のために活動しています。

わが人生わが経営87 社会福祉法人後志報恩会理事長 山﨑忠顯さん(しりべし・小樽支部)

2018年05月15日

知的障害者と笑顔に 地道な一歩が未来を創る

 

 「先日、著名な社会福祉研究者である立教大学の平野方紹教授が和光学園を訪れ、利用者の笑顔が素晴らしいと褒めてくれました。知的障害者が心から笑顔になれる地域社会をつくりたいと、この50年間歩み続けてきました。本当に嬉しかったですね」

 

 山﨑さんは1943年、5人兄弟の次男として釧路市で生まれます。父親は転勤の多い警察官。幼少期は道内各地を転々として暮らしました。中央大学法学部に進み、就職に当たっては「幅広い経験を積める仕事に就こう」と考え、札幌市役所に勤務します。

 

 配属先は福祉事務所。生活保護のカウンセリングや非行少年のケア、保育所、母子寮の利用相談などを担う部署です。ここで、その後の人生に大きな影響を与えることになる野村健さんと出会います。野村さんは10歳年上の先輩職員。ノミがとんでいるような家でも、出されたお茶を飲みながら相手に寄り添って話を聞く、福祉に対して強い信念を持つ人物でした。

 

 その野村さんからある日「余市の向こうに障害者の施設をつくろうと思っている。一緒に来てくれないか」と誘われます。山﨑さんは「この人は弱者の立場で、真剣になって考える人。信頼できると思っていた」ことからパートナーになることを即決します。自分自身も仕事を通じ、世の中に困っている人がいることを身をもって知っていました。反対する親を説得し27歳で市役所を退職。新たな船出を迎えます。

 

 1970年、2人は社会福祉法人札幌報恩会(本部・札幌、1918年創設)の1施設として、仁木町銀山地区に成人した知的障害者の入所施設「銀山学園」を開設します。「障害が重く家庭での生活が難しい」「非行もあり行くところがない」など、さまざまな事情から定員を大きく上回る入所希望があり、職員もすぐに集まりました。

 

 一方、資金繰りには苦労します。施設整備などに億を超える借り入れがあり「何度も請求書が舞う夢を見た」とも。しかし、当時の銀山農協や仁木町の支援で乗り切ります。事業の一環として養豚を行っていましたが、これには多額の飼料代が必要。「農協では飼料代を3年間待ってくれたのです。こうした協力があったことで何とか過ごせました」と振り返ります。

 

 開設から数年は入所者の無断外出が悩みの種。ついには町内のドライブインに忍び込む事件も発生します。「なぜ外に出たいのか」と考えた時、職員もたまに人里離れた学園から銀山の町に下り、人家の明かりを見てほっとすることを思い出します。出たいのは当たり前。法人の理念として「地域社会にこそ人間の幸せがある」と掲げた瞬間です。そこで、職員の家庭に入所者を招く「家庭訪問」を始めます。家庭訪問を続けるうちに無断外出する人はいなくなりました。やがて郵便局員や駅員、農家と取り組みに協力する人々の輪が広がっていきます。

 

 71年に銀山学園の定員を2倍に増やし、84年には中高年を迎えた人の受け皿として仁木町内に大江学園を設立。89年、法人の経営基盤が整ったことを受け「後志報恩会」として独立しました。

 

 90年には小樽市にある道立和光学園が移管されます。障害の有無にかかわらず、地域で共に暮らすという法人の姿勢に、道が「今後の障害福祉を体現している」と共感したのです。園長として赴任した山﨑さんは、いくつもの新しい試みに挑みます。その1つがガラス工芸。高温の炉やガラスを扱うため、危険性を指摘する声もありましたが「簡単に諦めては知的障害者の可能性を狭めてしまう」と周囲を説得。職員が1年間かけてガラスのイロハを学び、細心の注意を払うことで実現しました。

 

 同友会には96年に入会しました。和光学園が道立施設だったこともあり「小樽のまちにうまく溶け込んでいないのでは」と感じたためです。「おかげで地域との関係構築が進んだ」と語り、所属するしりべし・小樽支部では障害者雇用に真剣に向き合う土壌が育まれつつあります。

 

 30年ほど前までは、知的障害者施設の建設反対運動が起きるなど、知的障害に対する偏見が大きかったのが実態。山﨑さんは「その時代からすると、確かに良い方向に変わってきましたが、変わっていない部分も多い」と見つめます。

 

 和光学園では障害者と健常者の小学生が共に作業に汗を流し、食事しながら交流を図ることを続けてきました。「子供たちは障害の有る無しにかかわらず一緒に楽しんでいる」と目を細め、こうした「地道な一歩一歩が未来を形作っていく」と信じています。

 


【プロフィール】

 やまざき・ただあき 1943年1月2日、釧路市出身。札幌市職員を経て、知的障害者福祉に従事。2007年から現職。特技・柔道(5段)

 

 後志報恩会=主たる事務所・仁木町。札幌報恩会を母体とし、1989年に独立。障害者支援施設運営、パート含め従業員307人