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【70号特集1】経営者としてぶれないビジョン

2022年02月10日

経営者としてぶれないビジョン
―社員がいなくてもビジョンは必要か?―

 

(有)おおの 代表取締役 大野 雅志(旭川)

 

道北あさひかわ支部では「良い会社づくりの結果にコミットする」というテーマのもと、支部例会を行ってきました。経営者の想いの視覚化としての理念の作成、だがそれだけでは人は動かない。どれほど経営者が描くビジョンに魅力があるかが重要です。理念とビジョンの両方の作成の重要性を大野社長の経験から学びます。

 


 

 当社は1973年に私の父がドライブインとして創業しました。平成に入り旭川に高速道路ができ道路事情が変わったことを機に、コイン洗車場に転業します。


 その少し後に、私は家業を継がず新卒で紳士服メーカーに就職しました。その後、縁あって信用金庫に転職しましたが突然発表された合併を機に13年務めた信金を辞め、以前より誘われていた保険代理店に後継者候補として転職します。保険代理店は1975年創業の老舗代理店でしたが、後継者がいない状況で大元の保険会社から事業承継を指導されていました。代理店の創業者と家族ぐるみのお付き合いもあり、契約者でもあった私が金融機関に勤めていたことから「継がないか」と声がかかり転職しました。


 転職直後に信金時代にお世話になっていた社長から誘われ、同友会に入会します。翌年に代理店の後継者候補として経営指針研究会に参加し、先輩経営者の皆さんから多くのことを学び、経営者の意識が芽生えていきます。


 2016年に保険業法が改正され、急激な変化に対応するため世代交代が急務となり、転職してから6年で代表取締役に就任することになります。同年に経営指針委員長もさせていただきました。この時、実家である自社の代表取締役にもなっていたため、親族外承継の2代目と親族内承継の2代目という2つの会社の2代目に就くことになりました。ただ、メインは代理店の仕事で実家である自社は名前だけの形でした。

 

代表取締役就任後の空回り

 

 代理店の代表を受けるにあたり、創業者からは「資金繰りも含め社内のことは任せる」と、一任されます。最初は創業者との2人代表として、3年終了後に株の売買を含めた変更を約束し、代表取締役をスタートさせます。当時の社員構成は、私より年上で創業者、古参社員が2人、下が3人。男女比も3対3で、非常にバランスがいい体制でした。


 代表取締役に就任した時に掲げたビジョンは3つ。「ファーストコールカンパニー」「全国の代理店のロールモデル」「年商2億(保険料10億)」です。保険に関わらず、何か困ったことがあれば、まず一番に電話がかかってくる企業になろう。「保険に入りませんか」と言うだけの代理店ではなく、お客様にとって価値ある会社をめざしました。経営指針で創った理念を掲げ、中期計画も作成しました。自分としては理念、ビジョンと方向性、中期計画と経営指針に自信を持っていました。


 他に就業規則やルールの作成、個人面談、配置換えなどなど、かなり会社内を変化させました。若い人たちはすぐに順応してくれましたが、古参社員は急激な環境変化を嫌い反発しだします。私が描く未来に自分たちの居場所を描けなかったのだと思います。反発に対して、私はあまり話し合いをせずに「このビジョン、方針で行くから従え」というような感じで押し付けていたような気がします。古参社員とはだんだん溝ができていきました。


 今振り返ると、経営指針の委員長までやったのだから上手くやらなければいけない、というプレッシャーもあったのだと思います。社内が次第にぎくしゃくするようになり、精神的に余裕がなくなり、1件解約があるとこの先大丈夫だろうかと、マイナスのスパイラルに陥っていきます。それでももっと上手くやらなければと、自分で自分を追い込んでいました。なかなか人に頭を下げられないという性格も裏目に出たのかなとも思います。当時の私は経営者仲間がいたにもかかわらず、誰にも相談せず一人で決めてしまい、コメンテーターや評論家のような振る舞いで、経営者としての覚悟が希薄だったと思います。

 

 

代表を解任されて気づいたこと

 

 反発する古参社員の重要な仕事を少し減らし、若手にその仕事を振りました。そのころ古参社員にとって私は一緒に仕事をする仲間ではなく、恐怖の対象でしかなかったと思います。定年がせまっているのに将来の自分の立ち位置は想像できず、再雇用の不安も募ったことでしょう。彼らにとって、会社は安心できる場所ではなくなっていたはずです。一方私は社員への感謝が薄れ「なぜ自分の思い通りに動いてくれないのか」という思いから笑顔はなくなり、社内の雰囲気はさらに悪くなっていきます。


 そんなある日、私は創業者から突然解任を言い渡されます。事前に相談もなく、「合併が決まったから外れてくれ」とだけ言われました。ショックが非常に大きかったことを覚えています。この時は本当に色々と考えました。自社の代表にもなっていましたが報酬は受け取っておらず、私の収入のメインは代理店からの役員報酬でしたから、解任と同時に収入はゼロになりました。同友会の会員企業なら社員として雇ってくれるだろうか、この先、自分はどうやって生きていけばいいのだろうかと思い悩みました。


 悩んでいた時に「自分のような人を出したくない、経営者も従業員もどちらも幸せな社会をつくりたい、もう少し何かしたい」という考えが湧いてきました。この考えを基に自社でファイナンシャルプランナー事業を始めることにしました。


 私は、ここから生まれて初めて一人で働き始めることになります。日々の業務に追われますので、ビジョンや計画を考える時間が取れなくなりました。しかし、目的の実現のためにはこうした時間を確保することも重要なので意識して時間をとるようにしています。

 

理念・ビジョンを掲げる意義

 

 理念というのは経営者の想いの視覚化であり、打ち出すことで共感者や協力者が現れます。その共感者や協力者に行動してもらうための原動力となるのが、ワクワクするビジョンと考えています。実現可能かどうかを考えずに「こんな会社になるとワクワクするよね!面白いよね!?」というビジョンを話すことで社員も未来が想像できるようになり、協力してもらえる仲間になるのではないでしょうか。ビジョンの共有ができると自主的な行動もできるようになるのだと思います。一人の会社の場合でも、ビジョンを掲げることによって協力してくれる人が出てきます。ですから、社員がいない会社こそ、ビジョンや理念をつくるべきだと思っています。


 現在、キャリア支援や社員教育、お金の教育など、学校や企業でなかなか教えられない部分の教育を担って一人でも多くの笑顔を増やしたいと考えています。また、「サードプレイス」と呼ばれる家庭と企業以外の自分の居場所をつくることで社会から脱落する人を減らしたい、それらを複合的にできるような事業をめざしています。この考えをビジョン化できれば協力者が増え、実現できると考えています。


 理念とは想いを共有、共感するための手段で、ビジョンは行動の原動力です。どちらも必要なことです。理念・ビジョンがあり、いろいろな人を巻き込むことで、良い会社づくりができるはずです。


 ただ、これらは「聞いてもらえる関係をつくること」が大前提となります。私はこれができなかったので失敗しました。聞いてもらえる関係ができて初めてすべてが生きてくるということを忘れてはいけないと、しっかりと肝に銘じています。

 


(2021年7月26日「道北あさひかわ支部7月例会」第1部より 文責 増田賢宣)

 

(有)おおの 代表取締役 大野 雅志(旭川)


■会社概要
設  立:1975年
資 本 金:500万円
事業内容:ファイナンシャル・プランナー事務所 不動産賃貸 コイン洗車業

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