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【1世紀企業 67】ニッタクス(幕別町 ※十勝工場)

昭和40年ごろの十勝工場全景

 

日本初ベニヤ合板を製造

 

 日本で初めて合板を製造した会社が十勝・幕別町にあります。その歴史は、大阪でベルト工場を営む新田長次郎氏が、革をなめすのに使うタンニン(渋)を探し求めたことから始まります。

 

 1909(明治42)年、長次郎氏は広葉樹から豊富なタンニンが採れることから、十勝に製渋工場を設立。ところが、次第に安価なタンニンが出回るようになり、工場建設から10年も経たずして事業転換を模索します。そこで、長次郎氏の子息の愛祐氏が道産材活用の研究を開始。道産の広葉樹は材質が良く木目も美しい一方、乾燥による狂いが多いのが難点でした。愛祐氏は海外製の機械の梱包に使用されていた合板に着目。原木を薄く剥いて重ね合わせる合板の特性は、広葉樹の最大の欠点である狂いを解決できることを知り、18(大正7)年、合板事業へ乗り出すことを決意します。苦難の末に製品化された合板は、ベニヤ(薄板)合板と名付けられました。

 

 19(大正8)年には合資会社新田ベニヤ製造所を設立しますが、日本で普及していないベニヤ板の売上は中々伸びません。木製飛行機の研究が盛んになり始めた大正10年頃から引き合いが増え、関東大震災の復興でドアー部材を供給。会社は成長期を迎えます。最盛期の従業員数は300名を超え、十勝工場周辺には社宅を始め診療所や銭湯もあり、一大生活圏が築かれました。

 

 しかし、昭和40年代後半のニクソン・ショックで輸出不況に見舞われると、合板業界は苦境に立たされます。規格サイズ品の量産工場か、オーダーメイドで加工を行う特殊合板工場か。選択を迫られた同社は、後者の道へ進みます。以降は、加工技術やデザイン性に優れた製品を生み出し、建築材や家具・楽器など多彩な製品の他、JRの九州新幹線「つばめ」や小田急ロマンスカーの内装部材も同社の製品です。

 

 幕別町発祥のパークゴルフのクラブは、同社の技術によって生み出されました。パークゴルフは当初グラウンドゴルフのクラブが用いられていましたが、クラブの修理を請け負っていた同社が専用クラブを開発。87(昭和62)年に販売を開始しました。

 

 91(平成3)年に社名をニッタクスに変更。現在は東京を本社に、十勝と千葉に工場を構えます。愛祐氏の孫で、8代目社長の新田潔氏は2015(平成27)年に社長に就任。04(平成16)年から14(平成26)年まで十勝工場長を務め、現在も月の大半は十勝で勤務しています。十勝に限らず各事業所を頻繁に見て回り、各部署のつなぎ役を担います。新田社長は「日本で最初に合板をつくったプライドにかけて、お客様にNOを言わない会社を貫きます」と語ります。今後は「創業当初から道産材の活用に主眼を置いて木材の可能性を追求してきました。SDGsの観点からも、カラマツなどを活用した製品づくりを手掛けたい」と意気込みます。